Thursday 24 December 2015

2015年12月24日を迎えて

今年も12月24日になりました。
あの日から6年の月日が流れ、富士吉田の街の様子もずいぶんと変わりました。

2015年3月から、富士急行線でもSuicaが導入されることとなり(詳しくは、富士急行「富士急行線でSuicaサービス開始」)、フジファブリックが富士五湖文化センターで凱旋ライブを行った2008年5月当時、月江寺や下吉田駅で使われていた「裏が銀色のやつじゃなく」「『かちっ、かちっ』っと切る」趣あるあの切符も、もうみかけなくなってしまいました。

そういえば富士山山開きの日、富士吉田駅が富士山駅に駅名を改称しましたが、それも2011年7月1日のことでした。

今月4日、忠霊塔のある新倉浅間公園では、新たに展望デッキと転落防止柵が設置されました。(「忠霊塔裏に展望デッキ 浅間公園」山梨日日新聞2015年12月4日付 記事)近年増えている外国人旅行者に対応するためだということですが、近所のお年寄りや野球部の子供たちが行き交う静かな場所が、今では各国の言葉が飛び交うマルチエスニックな観光名所となりました。

志村くんが現在の忠霊塔を見たら、どんな顔をするのでしょう。

今日は富士吉田に、チャイムを聞きに行ってきました。

今年の3月27日に、富士吉田市と富士河口湖町をつなぐ新倉河口湖トンネルを含む「吉田河口湖バイパス」が開通し、甲府の実家から富士吉田まで以前は1時間かかったところ、今では45分程で行けるようになりました。富士吉田から富士河口湖町への渋滞解消と、富士山噴火時の避難・災害普及支援の目的で作られたそうです。
甲府から吉田がまた少し近くなって、私にとって今年の嬉しい出来事のひとつでした。

大々的に県内ニュースとして取り上げられたものから、路地裏を歩いていて気付く小さな変化まで、富士吉田の街も少しずつ変わっていっています。志村君が知らない地元の話も、結構増えたのかな・・・。

でも、いつでもそこには変わらない富士山があります。
富士ファブリックにも、フジファブリックにも、富士吉田にも、いつもそこには変わらない富士山。

多くの山梨県民にとって、富士山とは「いつもはあまり意識することはないけど、突然存在感を増すもの」ではないかと思います。

この土地で生まれ育った私たちは、小さい頃から日常の風景に溶け込んでいる富士山を、普段はあまり意識することなく過ごしています。それが或る時、富士山の存在に気づかされるのです。

病気で苦しい時。
大きな決断をした時。
山梨を離れた時。
帰郷した時。
大好きな家族を失った時。

その思いは人さまざまで、時によって富士山への想いも変化しますが、富士山は変わらずいつもそこにいてくれます。頭に雪を被った白い富士山も、左肩に明かりを灯す青い富士山も、いつも変わらずそこにいてくれます。

そして私にとって、フジファブリックの音楽は富士山と同様、いつでも変わらずそこにいてくれるものであります。「富士山=志村君と思っています。」というメールをファンの方から頂戴することがありますが、まさにその通りです。

今日は雲が多く、残念ながら富士山は見えませんでしたが、フジファブリックと志村君に富士山を見た2015年12月24日でした。


Sunday 20 December 2015

2015年12月19日(土) 富士吉田市夕方5時のチャイム「茜色の夕日」 動画紹介

この週末に富士吉田を訪れて、すでにチャイムをお聴きになったファンの方々もいらっしゃることと思います。

またフジファブリックを知らない富士吉田市民の元にも、このチャイムが響き渡ったこと、大変嬉しく思っております。「こんなにすごいミュージシャンが、地元にいたんだ!」と知っていただけたら、幸いです。

「路地裏の僕たち」のkazzさんが、下吉田駅前にて動画を撮ってくれましたので、ご紹介いたします。楽しみにとっておきたい方は、ここから見ないで下さいね!ネタバレ注意です!


バックに流れる踏切の音。
シルエットになって浮かび上がる富士山。
夕闇迫る新倉山。
空を彩るブルーと黄色のグラデーション。

チャイム音と一緒に、胸に響きます。

「この曲を歌うために、僕はずっとがんばってきたような気がします。」
富士五湖文化センターの凱旋ライブで、志村君はこう言っていました。

18歳の時に上京して、そのときの気持ちを曲にした「茜色の夕日」は、それから10年余の間、志村君と苦楽を共にし、今は穏やかに富士吉田の街に響き渡っています。これからまた、どのように志村君も「茜色の夕日」も、成長していくのでしょうね。楽しみでなりません。

今年は27日まで、チャイム「茜色の夕日」を聞くことができます。
ご都合が合いましたら、ぜひ富士吉田の街へいらしてみて下さい。

Friday 4 December 2015

2015年12月 富士吉田市 夕方5時のチャイム 変更のお知らせ

富士吉田市 防災行政無線の夕方5時(冬季は5時、夏季は6時)のチャイム音を、期間限定でフジファブリック 志村正彦さんの曲に変更することが決定しましたので、お知らせ致します。

期間:2015年12月19日(土)~27日(日) 9日間限定
    曲 「茜色の夕日」

詳しくは富士吉田市役所のホームページをご覧下さい。
富士吉田市役所 「防災無線の夕方5時のチャイム音を『フジファブリック 志村正彦さん』のメロディーに期間限定で変更します。

週末を利用していらっしゃるファンの皆様のために、今年は12月19,20日、26,27日の二回の土日を含む計9日間、夕方5時のチャイムを「茜色の夕日」に変更することとなりました。
「出来るだけ大勢の方に、チャイムを聞いていただきたい。」という富士吉田市市役所、「路地裏の僕たち」からファンの皆様へのプレゼントです。

2012年12月より始まったこの夕方5時のチャイム by フジファブリック。
今回で8回目となります。

2012年12月に開催された二回目の志村正彦展に合わせて始まりました。曲は「若者のすべて」で、静かにしっとりと、富士五湖文化センターの駐車場に響いたのを思い出します。
2013年からは7月10日のお誕生日に「茜色の夕日」が、7月25,6,7日と3日間限定で「若者のすべて」が流れました。
2014年4月に富士五湖文化センターで開催された「Live at 富士五湖文化センター 上映會」など、志村君にまつわることが富士吉田である度に、チャイム音となった「茜色の夕日」と「若者のすべて」が街に響き渡りました。

富士吉田を心から愛した志村君の作詞作曲した曲が、街の隅々までチャイムとなって鳴り響くのを聴くのは感慨深く、まるで凱旋ライブを観るような・・・、「故郷に錦を飾る」とはこういうことなのかな・・・、という気持ちになります。


毎年「どこでチャイムが聞けますか。」というお問い合わせがありますが、富士吉田市内であれば大抵どこでもチャイムは聞こえるようになっております。ただ場所によっては、「数箇所のスピーカーが反響して、聞き取りにくい」「音が小さい」などあるようです。

路地裏おすすめの場所は、富士五湖文化センターの駐車場と下吉田駅前広場、下吉田第一小学校グラウンドです。よろしかったら訪れてみて下さい!

お問い合わせを多数頂いた「路地裏の僕たち」主催のイベントですが、2015年12月は予定されておりません。どうぞご了承ください。

以前の企画展、上映会等でお渡しした「てくてくMAP 志村正彦編」ですが、チャイム変更の期間中、富士吉田市内各所で配布致しますので、前回もらえなかった方々はどうぞこちらへいらして下さい。

配布場所:下吉田駅構内 下吉田倶楽部、富士五湖文化センター内 図書館、富士吉田市役所 受付

※配布場所を他にも増やす予定でおります。まちのどこかで上映会の際に配布した和紙バージョンのMAPが置いてあるかもしれません。運がよければ・・・。

今年は例年に比べて暖かい日が続いているようですが、期間中は防寒対策を万全に、暖かい格好でいらして下さい。澄み切った空気の中で、茜色に染まる富士山を眺めながら聴く「茜色の夕日」。ファンの皆様、それぞれの思いを胸にお聴きになることでしょう。

今回もチャイム、また路地裏主催のイベントに関して、多くの問い合わせを頂き、ありがとうございました。路地裏の僕たちよりこの場を借りて、お礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

今日の一曲は、「茜色の夕日」です。
どうしてこの曲を聴いていると、自然に涙があふれるのでしょう・・・。


Wednesday 2 December 2015

タイで人気の忠霊塔?!

記事の更新が停滞気味で、申し訳ありません。

今朝は少しだけ涼しい風が吹いたバンコクから、この記事を書いています。


11月25日は、ロイクラトーンのお祭りでした。

陰暦12月の満月の夜、農民の収穫に恩恵深い水の精霊に感謝を捧げ、また罪や穢れを水に流し、魂を清めるお祭りとされています。バナナの茎、葉、紙などで作ったクラトーン(灯篭)を、ロウソクや花、線香で飾りつけ、満月を映す川面に流します。(近くに川がなければ、水路、池、湖など、水があるところであれば、OKです。)水に浮かぶクラトーンはとても幻想的で、このお祭りを見るために外国からも多くの観光客が訪れます。

最近では「エコに祝おう!」ということで、パンでできた灯篭も多く出回っています。精霊に感謝して、穢れを流した後は、お魚に食べてもらいましょう、ということのようです。

家の近所の池では、魚だけでなく亀もお相伴にあずかっていました!



さて、そんなタイで最近気付いたことがあります。
それは「忠霊塔をしょっちゅう街でみかける。」ということ。

なにかのブームなのか。
はたまた、なにか違う理由からなのか・・・。

タイ人にきいてみましたところ、「観光名所の代表的な場所のひとつだもの。日本に行ったら富士山、富士山といえば忠霊塔。」とのこと。

もう少し詳しく調べようと、日本への観光案内の本を見に本屋さんへ行ってみると、確かに表紙になっている写真はほとんど富士山!
すごい人気です。

「Japan Trip」という本を試しに買って、読んでみました。


第一章「日本へ行く人が準備すること」の始まりのページにも、忠霊塔の写真が見開きで色鮮やかに載っています。中心には富士五湖文化センターがはっきりとみえて、紅葉する機微と忠霊塔の赤、富士山の白と文化センターの白が、きれいにコントラストして気持ちが高揚してきます。

第二章「東京」は「浅草」「新宿」など、東京の主な街が載っていて、第三章は「河口湖」です!
後々続く「箱根」「鎌倉」「横浜」「かわさき」の前に、取り上げられています。



(そして目次のページでも、やっぱり富士山!)

JR新宿駅から電車やバスでのアクセスなど、事細かに説明されていて、「河口湖」「河口湖天上山公園 カチカチ山ロープウェイ」「河口湖オルゴールの森」に続いて、「忠霊塔」が登場します。


内容を簡単に翻訳してみました。

「日本の観光ポスターには必ずと言っていいほど載っているこの忠霊塔。
河口湖駅から電車で約15分。下吉田駅で下車。少し歩くと、山の中腹に忠霊塔が見えてきます。ポスターで見るあの景色を見たかったら、あの山に登らねばなりません。ここは新倉浅間神社の一部で、桜の季節になると多くの日本人観光客も訪れます。『さくら、富士山、五重塔』という日本ならではの絶景をみることができる場所です。」

まず、出だしの「日本の観光ポスターには必ずと言っていいほど載っているこの忠霊塔」というところに、驚きを隠せません。
えっ!そうなの!?

スカイツリーでもなく、鎌倉の大仏様でもなく、金閣寺でもなく、忠霊塔が、日本の観光ポスターには欠かせないなんて!

もちろんとても良い場所ですが、いつからそんな有名になったのでしょうか・・・。

タイ人なのか、それとも日本人なのかはわかりませんが、私が推察するに、日本の観光ポスターに誰かが忠霊塔を起用し、いつの間にかそれが定着して、タイ人の心の中に「富士山=忠霊塔」という構図が出来上がったのではないでしょうか。

7,8年前まで、忠霊塔で外国人を見かけたことはほとんどなく、日本人でさえすれ違うことも多くなかったのに、いつの頃からか桜の季節に大型バスを見るようになり、今ではどの季節に訪れても高確率でタイ人と遭遇するという場所になりました。新倉浅間神社に奉納されている絵馬にも、タイ語の文字がいっぱいです。

私も2度ほど、鳥居の前でタイ人とお話したことがありますが、「こんないいところを離れて、どうしてバンコクなんか来たの?」と言われました・・・。

本当にいいところですものね。

そして、もうひとつ。
「DACO」という「日本をもっと知りたいタイ人のための情報誌」とうたうフリーペーパーがあります。
この「JAPAN OMIYAGE お土産」という特集の中で、「富士フォン」が掲載されていました!


こちらも内容を翻訳します。

「形が富士山の富士フォン。
原材料も良質のものを使っています。富士山の湧き水を忍野から取り寄せ、富士山麓にあるミルクランドでとれる牛乳を使用。一度食べたら病み付きになること、間違いありません。Japan Gift Awards 2015年を受賞。」

タイ人も知るところとなった、富士フォン!
実は今回の帰国の際、富士吉田でお土産に頂いたものを大切にバンコクへ持ち帰ってきたので、周りのタイ人に本物を見せて大喜びされました。

なんだかちょっとみんなに自慢・・・してしまいました。


最後にもう一つ。
先日バンコク市内のファミリーマート(タイにもファミリーマートがあります)で飲み物を買おうと、手に取ったお茶になんと!





またもや忠霊塔が!!

これは伊藤園のジャスミン茶なのですが、なぜか裏には忠霊塔の写真が載っているのです。「よっぽど『日本=富士山=忠霊塔』のイメージがあるんだな。」と、思った出来事でした。

味の方は・・・、日本人にとってはちょっと甘すぎて、受け入れられないかもしれません。

フジファブリックファンにとっては聖地ともいえる「いつもの丘」、忠霊塔。
その魅力はいまや国内に留まらず、世界中から大勢の人が訪れるようになりました。フジファブリックの音楽も、いつか富士山麓から世界に響くようになるんだ!と、信じて疑わない今日この頃です。

今日の一曲は、「浮雲」です。
忠霊塔といえばやっぱりこの曲ですが、「ペダル」を聴いても忠霊塔が頭に浮かぶのはなぜでしょう。


Monday 12 October 2015

富士山 初冠雪 2015


甲府気象台は11日、富士山が初冠雪したと発表しました。
甲府地方気象台発表 富士山初冠雪 2015年10月11日

独自の観測を続けている富士吉田市も、今シーズン初めての「富士山初雪化粧」宣言をしました。
「富士山が初冠雪」山梨日日新聞 2015年10月11日付記事

富士山に雪が降ると、麓の街富士吉田や鳴沢村ではなんとなく街の空気が変わります。雪の湿気をおびた風と水の冷たさを感じると、秋はいよいよ深まりもうすぐ冬が来るのだな、と身が引き締まる思いです。

明日10月13日、富士吉田のある東部・富士五湖地方の天気予報は晴れ。最高気温20度、最低気温5度となっています。

もうこんなに寒いのですね。
富士吉田の皆さん、もうとっくにストーブたいているかな・・・。

曇りと雨ばかりでそろそろ体にカビがはえそうなバンコクから、富士山に思いを馳せる今日この頃です。

今日の一曲は、「ムーンライト」。
澄み切った空気に、月や星がくっきりきれいに見える季節になってきました。
富士山と月。
きれいでしょうね。


「フジファブリック live at 富士五湖文化センター」  ~ 路地裏の僕たち presents DVD上映会 2015年7月11日(土) レポート5


ずいぶんと間があいてしまったこのレポートも、今日で最終稿を迎えることとなりました。

志村正彦君の母校、富士吉田市立下吉田第一小学校で行われたDVD上映会で、私が一番思い出深かったエピソードを皆様にご紹介してこのレポートを終了させて頂きたく思います。

第二部終了間近のこと。

小さなお孫さん二人を連れたおばあちゃんが、話しかけて下さいました。

「お友達が葬儀場の近くに住んでてね。

何年か前のある冬の日、『今日は葬儀場へ大勢の人が来てるんだよ。並んでいる人にきいてみたら、みんな全国から集まってきてるだって。なんだか有名な歌手が亡くなったって言ってるよ。』って、その人からきいてさ。

誰だろう。どんな人だろう、とずっと思ってたの。

そうしたらここで上映会やるっていうちらしを見つけて、この人じゃないかなと思って。それで孫連れて見に来たの。

今日は謎が解けて良かったし、嬉しかったよ。こんな偉い人が富士吉田から出てくれて。

惜しいことしたよね。

でも、これからも頑張って。」

この言葉を聞いたとき、今日のこのイベントに微力ながらも携わることができたことに、誇りと喜びを感じました。

「富士吉田を愛し、富士吉田を歌ったミュージシャン志村正彦をもっと地元の人たちに知ってもらいたい。志村正彦とフジファブリックの音楽を通して、郷土愛や誇りを再認識して頂き、次世代を担う子供たちや若者の夢と希望を後押しするきっかけになりたい。」

路地裏の僕たちが、いつでも思っていることです。

2011年、2012年の企画展、2013年の歌う会と、「路地裏の僕たち」は三度にわたり志村正彦さんとフジファブリックの音楽の魅力を知ってもらおうと、地元富士吉田でイベントを開催してきました。何度となく見舞われたアクシデントのたびに、路地裏の僕たちは抜群の行動力と運(?)、そして何よりも同級生の連帯感で見事に切り抜けてきました。

至らない点、未熟な点もあったかもしれません。

ただ最後にぜひ、皆様にお伝えしたいことがあります。

第一回目の企画展から今日まで、マサト隊長率いる路地裏の僕たちが、「正彦のために、できることはないか。志村正彦と故郷富士吉田そしてフジファブリックを愛し続けてくれる全国のファンに対して、恩返しとして何ができるか。」ということを、その都度真剣に考えてきて今日に至ります。

今回の上映会には、多くの方々が「路地裏の僕たち」の意思に賛同し、ご協力下さいました。

この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

Tuesday 18 August 2015

「フジファブリック live at 富士五湖文化センター」  ~ 路地裏の僕たち presents DVD上映会 2015年7月11日(土) レポート4


前回に引き続き、DVD上映会のレポートです。

上映会に来ることができなかったファンの皆さんから、特に要望の多かったものが、志村君ゆかりの方々のご挨拶でしたので、ここに記しておきたいと思います。

小宮山先生は現在、小学校の教師をしていらっしゃいます。志村正彦君が小学4年生の当時は、富士吉田市立下吉田第一小学校で教鞭を執っていらっしゃいました。

以下は、小宮山尚先生のご挨拶を、私の言葉でまとめたものです。(青文字は、先生の言葉をそのまま、ご挨拶より文字起こしさせて頂きました。)


五年前に富士河口湖町に赴任なさっていた時、富士吉田の防災無線チャイムが「若者のすべて」に変わったことを耳にして、元々フジファブリックのファンでいらした奥様と一緒にチャイムを聴きに行こうかとお話になったそうです。

その後、ご自身もフジファブリックの様々な楽曲に親しむようになられました。


昨年の夏、山梨県立図書館で開催された「ロックの詩人 志村正彦」展をご夫婦で訪れた際、多くの展示品の中に、当時の担任の先生が書いた下一小の学年便りを発見します。そこには、手作りの小宮山先生の顔をかたどった手作りの似顔絵スタンプが押してありました。

「僕のスタンプだ!」
そのスタンプには、小宮山先生の顔と一緒に「ベリーグッド」の文字も刻まれていました。
「(志村君は)当時から目が大きくて、割と色白な子だな、という印象がありました。」

当時、志村君は応援団の一員でした。応援団というのは、運動会の時の応援係なのだそうです。小宮山先生は応援団員の生徒たちに、「学園天国」という曲(小泉今日子 1989年11月1日 シングルリリース)に合わせて運動会応援歌の歌詞を作ってくるようにと依頼されました。

「作詞依頼、作詞のオファーをしたんですね。」

数ある歌詞の中、

「きちっとやってきてくれて、これだ!と決めたのが、正彦君が作ってきてくれた白組の応援歌だったんです。」

(志村君にとっても心に残る思い出の一つだったらしく、『東京、音楽、ロックンロール 完全版』 ロッキングオン社 志村正彦著 の中にも書かれています。)

先生はそのスタンプを志村君のご両親にプレゼントするためお持ち下さり、会場に集まった観覧者の皆さんにも見せて下さいました。

「『あなたの作った白組の応援歌は、やっぱりベリーグッドだったよ。』と、ぜひ伝えたいです。」


正彦君のためにお花を買おうと、河口湖にある花屋さんに立ち寄り、「お花を下さい。」と言ったその瞬間、柴咲コウさんがカバーした「若者のすべて」が店内に流れるというミラクルが起こりました。お店の中を、静かに、心地よく、流れていたそうです。

「こんな巡り合わせを感じて、今日はやってまいりました。みなさん、一緒に楽しんでいきましょう。」

そんな素敵な言葉で、先生のご挨拶は締めくくられました。


小宮山先生は33年間、教師として多くの生徒さんを指導していらっしゃいました。その数は一体、どのぐらいになるのでしょう。私には想像もつきません。25年も前、特に担任していた生徒だった訳ではなく、応援団員の一人であった生徒、志村正彦君を、先生がここまで鮮明に覚えていらっしゃるということに深く感動致しました。


「志村君が知ったら、どんな顔をするだろう。」

そんなことを、考えました。

「志村正彦 作詞」という歌詞の中で、現在確認されている一番古いものがこの「学園天国」の曲に合わせた応援歌です。

小宮山先生がたまたま下吉田第一小学校に赴任なさり、応援団の指導にあたられたからこそ、志村少年は歌詞を書く機会を与えられました。またその後、ご本人、そしてご家族の手できちんと保管されていたからこそ、後のフジファブリックに繋がる貴重な資料として現存することができたのです。

色々な偶然と巡り合わせが重なり、形となっていく。
不思議なものだと思います。

このブログにてごあいさつ文を紹介すること、快く承諾して下さった小宮山尚先生に、この場を借りて、お礼を言わせて頂きたいと思います。

ご協力いただきまして、本当にありがとうございました。

Saturday 1 August 2015

富士吉田市 「広報ふじよしだ」~志村正彦さんと路地裏の僕たち隊員3名が、表紙を飾りました




山梨県富士吉田市「広報ふじよしだ」(2015年8月号)に、7月11日開催「フジファブリック live at 富士五湖文化センター ~ 路地裏の僕たちpresents DVD上映会」が、取り上げられました!

表紙を飾ったのは、フジファブリックボーカル・ギターを務めた志村正彦さん、そして上映会を主催した志村さんの同級生で作る会「路地裏の僕たち」の隊員3名です。

「紹介します 富士吉田市出身のフジファブリック志村正彦です」

上映会会場で撮影された写真を、ご覧ください!
広報ふじよしだ 2015年8月号 1

またこちらのPDF12ページ目にも、当日の様子が取り上げられています。
広報ふじよしだ 2015年8月号 3

富士吉田市内の各ご家庭に配布されていますが、遠方にて入手困難な場合は、前記のアドレスからダウンロードすることができます。

どうしても冊子を手に入れたい!という方は、富士吉田市の市役所、図書館、コミュニティーセンター、市民ふれあいセンター、各コンビニエンスストアで入手できますので、8月中に富士吉田を訪れる際には立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

広報配布場所の地図と施設詳細は、こちらです。

市役所の地図

図書館の地図

コミュニティーセンター 一覧

市民ふれあいセンター 地図



路地裏主催のイベントではシンボル的存在になっているこの写真は、2010年1月21日に中野サンプラザで営まれた志村會で飾られたもので、今でも志村家で大切に保管されています。お花で作られた富士山の頂上に立つ志村君が、記憶に残っている方も多いことでしょう。

ハットに手をかけポーズを決める志村君は、今にもくるりとむこうを向いて、立ち去ってしまいそうな・・・。お別れ会で使われたものと知っているせいか、当初は寂しく儚げな印象を受けました。

しかし路地裏のイベントで、和やかに楽しく働く友人たちに囲まれているのを何度も見ているうちに、いつのまにか志村君が会場に一緒にいるような気持ちにさせてくれる存在へと変わっていきました。

今回の上映会での展示についても、この写真パネルをどこに置くかを一番初めに路地裏のみんなは考えました。体育館に入った瞬間にまず見るだろうと想定しながら、展示の中心にしようと思い、体育館の後ろにしました。

前日の準備にて、後ろの壁に立てかける予定でしたが、まさかビックリ!
この日のためにあったかのように、チェーンが備え付けてあるではないですか!!
路地裏の僕たち代表のタカさんの指揮のもと、跳び箱やクッションマットを使い、大人数で高さを調整してセッティング。同級生が行う上映会を、志村君が見守っているような感じを受けました。

ハット姿の志村君と仲良し友人三人組が広報の表紙を飾ったことで、その印象が一層深まりました。

多くの富士吉田市民のみなさんの目につき、フジファブリック 志村正彦というミュージシャンがいたこと、彼が富士吉田出身でどれほど故郷を愛していたかを知るきっかけになってくれればと願ってやみません。

Wednesday 29 July 2015

「フジファブリック live at 富士五湖文化センター」  ~ 路地裏の僕たち presents DVD上映会 2015年7月11日(土) レポート3


上映会第二部でご挨拶頂いた田邊大造さんについて、今日はご紹介したいと思います。

路地裏の僕たちの皆さんは、小学校だけ志村君と一緒だった人、中高通して一緒だった人、など人様々ですが、田邊さんは小学校(下吉田第一小学校)、高校(吉田高等学校)と、同じ学校に通った同級生です。志村正彦さんと同級生の皆さんが小学校6年生在校時の1992年度、田邊さんは児童会長を務められました。

あの時期の9年間はかけがえがなく、共に過ごした思い出の重みは大人になってから感じるものですね・・・。

山梨では越境入学が基本的に認められていませんので(公立学校の場合)、地域との結びつきが強く、小さい時から知っている近所の子供たちと同じ学校に行くことがほとんどです。その上、何世代にわたってその地区に住んでいることも多い為、おじいちゃん、お父さん、兄弟同士が同級生ということはよくあることなのです。

そういう友人は、どこに行っても、いつになっても、何をしていても、やはり他とは違う結びつきのある人たちです。

以下は、田邊大造さんのご挨拶全文です。
長身の大造さんは、路地裏のオレンジTシャツにハットをかぶり、元児童会長の貫録を見せてくれました。

大造さん。
挨拶全文をここで紹介することを快く承諾して下さっただけでなく、このブログのためにわざわざ書き下ろして下さり、どうもありがとうございました。この場を借りて、お礼を言わせて頂きます。


こんにちは。

志村正彦君と同級生でこの下吉田第一小学校で6年間一緒に楽しい時を過ごした、時の児童会長であります田邊大造と申します。
今日は県内外から多くの方がマー君の愛した富士吉田に足を運んでもらい本当にありがとうございます。

最近は梅雨に入り、富士吉田も連日雨が続いていまして、今日を迎えるにあたり天候はどうなるのかなーって思っていたんですが、本当にいい天気に恵まれてマー君もきっと吉田に来てねーって言ってるんじゃないかなぁーって僕なりに思ったりしています。

今回、路地裏の僕たちで開催させてもらうのが3回目になるんですが、第1回・2回と足を運んでくれている方もいらっしゃると思います。また今回、初めてこの富士吉田に来ましたよーって方もいると思います。マー君が幼少時代から過ごしてきた富士吉田をいろいろ観ていってほしいと思います。

入口でお配りさせてもらった袋の中に「てくてくマップ」が入っています。このマップを元にいろいろな場所へ行ってもらえたらなーって思ってます。その中で、僕自身一番初めに行ってほしい場所があります。
「ちっちゃな野球少年が 校舎の裏へ飛んでったボール追いかけて走る」という歌詞があるんですが、まさにその題材となった場所だねーってマー君のおばちゃんと忘年会の時に話をしていました。なので、ぜひ上映後、みなさんに校庭に立ってマー君と同じ景色を見てもらってからスタートしてもらいたいと思います。

今日は一日楽しんで過ごしていって下さい。

Friday 24 July 2015

「フジファブリック live at 富士五湖文化センター」  ~ 路地裏の僕たち presents DVD上映会 2015年7月11日(土) レポート2

(写真提供 路地裏の僕たち隊員 かずまさん)

前回に引き続き、DVD上映会のレポートです。

今回は、上映会第一部でご挨拶して下さいました、渡辺新(あらた)君の紹介をしたいと思います。
新君は富士吉田市立下吉田第一小学校の現児童会長、フジファブリック初期ドラマー渡辺隆之さんの甥御さんでもあります。

当日、新君は少年野球のユニフォームを着て、ご挨拶して下さいました。懐かしい気持ちになった方々も多いと思います。
凛々しい姿を目の前に、新君の落ち着いた声を聞いていたら、いつのまにか「記念写真」が頭の中に流れていました。

下吉田界隈を歩いていると、野球少年を見かけることがよくあります。
忠霊塔に伸びる階段が足腰を鍛えるトレーニングには最適らしく、少年野球の子供たちが走り込みをしているのを以前見たことがありました。
そして少年たちは、出会うと必ず笑顔であいさつをしてくれます。富士吉田では日常の一コマですが、何気なく交わすあいさつがどれほど通りすがりの人たちの心を和ませ、清々しい気分にしてくれるのか。

気付かせてくれたのが、下吉田の野球少年たちでした。

たまたま新君が児童会長であるこの年に、この下一小で上映会が開催されたことは、ファンだけでなく携わった皆さんの心の中に刻まれることでしょう。


以下は、新君のご挨拶全文です。
あの場の雰囲気、新君の姿と声。
文字に起こすと無機質になってしまいますが、来ること叶わなかったファンの皆様に、新君が本当に伝えたかったことが伝わりますように・・・。

新君、この記事のために色々とご協力いただき、ありがとうございました。この場を借りて、お礼を言わせて頂きたいと思います。新君、ありがとうございました。

皆様、こんにちは。
僕は下吉田第一小学校の児童会長の渡辺新です。

正彦くんが下一小の出身ということで、学校の話をしたいと思います。

全校生徒数は103人で市内の小学校では生徒数が一番少ないです。
それでも、大変歴史のある学校で明治時代からあるそうです。

下一小のいいところは、みんなが全員の名前と顔を覚えていて、学年関係なく、兄弟のように仲がいいことです。
4月には桜の季節にあわせて、富士山と富士吉田の街を眺めながら、高学年が低学年の手を引いて、全校生徒みんなで忠霊塔に登ります。秋の運動会では近くの小室浅間神社のやぶさめ祭りにちなんだ、マスゲームを全校生徒で毎年表現しています。

そのほかにも他校にはない学年行事はたくさんあります。

今日は正彦くんの誕生日に合わせて、富士五湖文化センターのライブの上映会をしますが、実は・・・僕は・・・このライブへ行きました。5才の時に初めてのライブで、あまりの迫力と大音量に興奮して鼻血を出してしまいました。その事は今でも覚えています。

今、この場で皆様の前でライブの話をしているのは偶然ではなく、何かがあるのだと思います。

正彦くんがたくさんの曲を遺し、亡くなった時はとても悲しかったです。
それでも、遺した曲は生きていて、お風呂に入りながら歌う時があります。

僕も正彦くんみたいに頑張って活躍したいです。

これから下一小の校歌がながれますが、とてもいい校歌ですし、正彦くんが6年間歌った歌です。歌ってもらえるとうれしいです。

ありがとうございました。

Tuesday 14 July 2015

「フジファブリック live at 富士五湖文化センター」  ~ 路地裏の僕たち presents DVD上映会 2015年7月11日(土) レポート1


梅雨らしい天気が続く中、寸前まで天候が心配されましたが、フジフジ富士Qに次ぐ志村マジック!今回も起こりました。久々にきれいな富士山が顔を見せ、朝から素晴らしい晴天に恵まれました。

路地裏の僕たちは楽観的なメンバーが結構多い(?)のですが、そのような皆でも準備段階では色々な不安が頭をよぎるものです。

「雨が降ったら、展示品の搬入はどうしようか。」

「路地裏の僕たちのシンボル的写真。ちゃんと飾れるかな。」

「晴れたら熱中症が心配。暑さ対策はどうしよう。」

「お客さんは、何人ぐらい来てくれるかな。」



今回は志村君の古くからのご友人で、フジファブリックのインディーズ時代「アラカルト」「アラモード」「アラモルト」、そしてメジャーデビュー後の「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」の四季盤、1stアルバムのジャケットやFAB BOXⅡのデザインを手掛けた柴宮夏希さん(nemo graph.)が、上映会のポスターとフライヤーを作って下さいました。プロのデザイナーとして活躍中の柴宮さんですが、ご多忙にも関わらず少ない時間の中、路地裏の頼みを快諾して下さいました。

この場を借りて改めて、お礼を言わせて頂きたいと思います。
本当にありがとうございました。

路地裏がぜひ柴宮さんにお願いをしたいと思った理由は、あの抜群のセンスに加え、柴宮さんの温かいお人柄でした。一回目の企画展でも微笑ましいエピソード(ハム太郎の帽子!)を綴ったコメントを送って下さり、覚えているファンの方も多いかと思います。

志村君の上京後の苦労や喜びを近くで見てきた友人が、地元の同級生で作る「路地裏の僕たち」の企画に賛同し、応援、協力して下さったことがかけがえのない力となっただけでなく、大きな励ましとなりました。



展示も、暗幕も、プロジェクターも、音響も、富士山のお水も、すべて準備完了。

それなのに、9時の時点で外を見ても、人影はまばらでした。
今までの企画展では、開始一時間前にもなれば列ができていたのに、今回は様子が違う・・・。

「お客さん、来てくれるのかな。まさかのまさかじゃ・・・、ないよね。」

直前までドキドキしていたのですが、9時40分をすぎた頃からどこからともなく大勢の皆さんが集まってきて、気が付けば会場はほぼ満席!

遠くから訪れてくれたファン、お若いカップル、子供連れのご夫婦、ご近所からお孫さんを連れて来てくれたおじいちゃん、おばあちゃん。観覧者はまさに老若男女、下はよちよち歩きの子供さんから上は70代の年配の方々までいらして下さいました。

入場が始まり会場に入ると、入口近くに展示された写真を一枚一枚、丁寧に見ています。以前の企画展に出したもの、新しいものなどを取り混ぜて、パイプいすの上に置いてみました。体育館の雰囲気が、出ていましたか。

会場後方には、跳び箱にかけた衣装、ワックスがよくかかった床に置いた楽器、アンプ、写真、絵などを展示。「ゆかりの品を展示」というよりは、「さっきまで、ここにいた感じ」を大切にしました。(展示品については、後日、改めて特集します。)

お客様の着席後、DVD上映前に、一部、二部、三部とそれぞれ少しずつ変えて、路地裏らしい趣向を凝らしてみました。



司会進行 渡辺雅人隊長

一部:
ご挨拶 路地裏の僕たち 渡辺雅人
ご挨拶 下吉田第一小学校 現児童会長 渡辺新(あらた)君
全校生徒による下吉田第一小学校 校歌斉唱(録画映像)

二部:
ご挨拶 下吉田第一小学校 志村正彦さん在校時児童会長 路地裏の僕たち隊員 田邊大造さん
ご挨拶 小宮山尚先生
全校生徒による下吉田第一小学校 校歌斉唱(録画映像)

三部:雅人隊長のMC

各部、DVD上映後にスライドショー


次回は、渡辺新君、田邊大造さん、小宮山尚先生のご挨拶を紹介致します。

Tuesday 7 July 2015

富士吉田市防災無線放送 夕方6時のチャイム 「若者のすべて」


富士吉田市の防災無線放送夕方6時のチャイムが、フジファブリック「若者のすべて」に変更となりました。

◇◆ 富士吉田市安心安全メールマガジン ◇◆◇◆ 平成27年7月6日 ◇◆本日、6日(月)から12日(日)までの7日間、夕方6時のチャイムの音が、富士吉田市出身のミュージシャン、フジファブリック志村正彦さんの「若者のすべて」に変わります。市民の皆さまのご理解をお願いします。
(16:00、富士吉田市より送信されたメール)
初日の今日、何のアクシデントもなく、無事にあのメロディーが、街に響きわたりました。
清々しい空気に包まれながら富士吉田で聞くチャイムは格別なものですが、都合により聞くことができないファンの皆様のために「路地裏の僕たち」が録画した動画をYou Tubeにアップしました。よろしかったら、今日の雰囲気を感じてみて下さい。
典型的な梅雨空の下、周りの山々からは水蒸気が立上り、富士山は顔を見せてはくれませんでしたが、気持ちのいい空気が街を包んでいました。
いよいよ上映会まで、あと四日となりました。
上映会にあたり、路地裏の僕たちから注意事項のお知らせです。
1.スリッパ(上履き)、お座布団などをご持参ください。
座席のご用意はありません。
室内履きやお座布団などご用意いただきますと、快適にご覧いただけるかと思います。
2.飲み物をご用意ください。
体育館内は空調設備がない為、天候によっては室内温度が高くなる恐れがあります。熱中症対策として、飲み物など各自ご持参ください。
7月11日の最高気温は26℃、最低気温は18℃との予想になっております。
3.お車でご来場の方は、小学校校庭をご利用ください。
警備員の先導に従って、校庭に駐車いただきますようお願い致します。
路上駐車はご遠慮ください。
また、会場周辺は一方通行が多いので、運転には十分お気を付けください。
ご協力どうぞよろしくお願い致します。
お問い合わせ、応援メッセージなどは、こちらまで。お待ちしています。
「路地裏の僕たち 専用メール」
rojiuranobokutati@gmail.com
また今回の上映會に関するご意見、ご感想、応援メッセージなどは、こちらでも受け付けています。
「富士吉田市役所」
kikaku@city.fujiyoshida.lg.jp

Thursday 2 July 2015

山梨県甲斐市立竜王図書館 特別展示「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」 レポート


朝からしとしとと雨が降っていた甲府盆地。
梅雨空の下、竜王図書館で行われている特別展示「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」を見に行ってきました。

甲府バイパスを北杜市方面に向かって車を走らせていくと、目的地に到着。
竜王図書館は甲斐市役所に隣接して建っていました。

入口に立てられた特別展示の看板が、気分を盛り上げてくれます。



展示場は2階にありました。

「山梨を織り込んだ歌詞」に焦点をあてた企画に相応しく、歌詞をじっくり味わえるような展示となっていて、コンパクトな展示スペースにパネル化された歌詞が並んでいます。

志村君が作詞した歌詞は、なんとシングル5曲を含む10曲が展示されていました!

どの曲が選ばれたのかは・・・、来場したファンの皆様のお楽しみにとっておきたいと思います!(展示が終了した時点で、こちらのブログで発表予定です。)志村君の歌詞は、やっぱり深いなぁ・・・。

今回の展示を担当なさった図書館司書、内藤京子さんに、詳しくお話を伺うことができました。

一年前にフジファブリックの音楽と出会ったという内藤さん。

「山梨から、こんな素晴らしいミュージシャンが出ていたなんて・・・。」と感銘を受けたそうです。「広い年代層にわたって、図書館利用者に彼らの歌詞世界を知ってもらいたい。また、夏休みに図書館を利用する機会が増える中高生に、地元山梨県で生まれ育った音楽家たちが書いた歌詞をじっくり味わうことで、身近な音楽から文学を感じ取ってもらいたい。」

そんな思いから、この企画は生まれました。

アーティスト本は多数出版されますが、ミュージシャン多しといえども、歌詞が詩集として発売されることは稀なのだそうです。公の場である図書館で企画が立ち上げられ、歌詞が展示されるというのは、志村君の書いた歌詞が文学的にも評価されたことの証ではないかと思うのです。高校時代、誰よりも図書館を利用したと自負していた志村君が知ったら、どんな顔をするでしょうか。


私がいた30分ほどの間にも、三人ものおじいちゃま方がパネルを読んでいらっしゃいました。

志村君がいなくなってから、早5年半。

彼の書き遺した歌詞は時を超え、今、こうして故郷山梨でみんなの注目を浴びています。

ぜひこの機会に多くの皆様の目に触れ、「こんな素晴らしいミュージシャンが、山梨にいたのか。」と、知って頂くきかっけになってくれればと願って止みません。
近々、展示に興味をもった方々が、すぐに手に取って読むことができるように、図書館が所蔵する「志村正彦全詩集」が展示スペースに置かれる予定だそうです。

内藤さん、竜王図書館の皆さま、素晴らしい展示をどうもありがとうございました。

Wednesday 1 July 2015

山梨県甲斐市立竜王図書館 特別展示「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」


富士山の山開きの今日、路地裏の僕たちの上映会に次ぎ、山梨県からまたまた嬉しいお知らせです!

甲斐市立竜王図書館にて、山梨県出身のミュージシャンの作詞した歌詞をとりあげた特別展示が行われることとなりました。

企画展タイトル   「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」
展示期間   平成27年7月1日(水)~30日(木)
場所   甲斐市立竜王図書館 2階展示ホール(詳しくはこちら 山梨県甲斐市立竜王図書館
対象   中学生から一般
入場料   無料

山梨県出身のミュージシャンの一人として、フジファブリック 志村正彦さんが選ばれました。

志村君が書いた楽曲には、富士吉田の風景を思わせる歌詞がたくさんあります。また、「志村正彦全詩集」が発売され、彼の書いた歌詞には文学的価値が高いと評価されている中、この企画にはぴったりのミュージシャンだと思います!

今月は、志村君のお誕生日や路地裏の僕たち企画のDVD上映會に合わせ、富士吉田へいらっしゃるファンの方も多いかと思います。もしお時間が許すようでしたら、甲府盆地まで足をのばし、竜王図書館へいらしてみてはいかがでしょうか。

私は早速、今から竜王図書館へいってきます。

特別展示の様子をいち早く、ファンの皆様にレポートさせて頂きたいと思います!



Saturday 20 June 2015

「路地裏の僕たち上映会」~隣のノッポにバットを借りて下一小に集合だ!~


ファンの皆様、お待たせしました!
志村君のお誕生日に向けて、路地裏の僕たちが動き出しました!!

今回の企画は、「フジファブリック Live at 富士五湖文化センター」DVD上映会です。

「路地裏の僕たち」は、志村正彦君の地元、山梨県富士吉田市で暮らす同級生の皆さんが作る会の名称です。今まで2011年12月、2012年12月と二度にわたり、志村正彦展を開催してきました。

隊長、渡辺雅人さんはじめ、路地裏のメンバーの皆は、いつも変わらぬ思いのもとに集まってきます。
その思いとは、志村正彦君と故郷富士吉田、フジファブリックを愛し続けてくれる全国のファンに対して、自分たちが主催する企画を通し恩返しをしたいということ。また志村君がこよなく愛した富士吉田の地で会を催すことにより、志村正彦君とフジファブリックの音楽を通して、市民の皆様に郷土愛や誇りを再認識して頂き、次世代を担う子供たちや若者の夢と希望を後押しするきっかけになりたいということ。

ファンの皆様へのささやかなプレゼントとして、今年も志村君のお誕生日、7月10日に合わせて、活動いたします。会場は、路地裏の僕たちの思い出の場所、富士吉田市立下吉田第一小学校の体育館です。志村君が緊張した面持ちで立っている小学校入学式の写真(FAB BOOK掲載)を思い出されるファンの方も多いと思います。

地元に住んでいない限り、なかなか足を踏み入れる機会がないこの思い出の場所にファンの皆様をご招待いたします。

また、会場には一部ゆかりの品を展示する予定となっております。

全国からいらっしゃるファンの皆様と出会い、お話をしたことで、初めて志村君のすごさを知ったとおっしゃる富士吉田の方に何度かお会いする機会がありました。ファンの皆様、地元の皆様の双方にとって、今回の上映会が出会いと交流の場となり、そこから更に大切なもの発展していってくれればいいなと思います。

◆「フジファブリック Live at 富士五湖文化センター」 DVDの上映会
~隣のノッポにバットを借りて下一小に集合だ!~

 ≪開催日≫ 平成27711日(土)
 ≪会場≫ 富士吉田市立下吉田第一小学校 体育館  (山梨県富士吉田市下吉田5222
 ≪上映時間≫  一部  1000 ~ 1200
         二部  1300 ~ 1500
         三部  1530 ~ 1730
 ≪料金≫ 無料
◎同会場にて、志村正彦さんゆかりの品も一部展示します。

防災行政無線の夕方6時のチャイムも、合わせて変更になります。

◆防災行政無線の夕方6時のチャイムを「フジファブリック」の曲のチャイム音に変更する。
≪放送日≫ 76日(月)~712日(日)の7日間
≪放送時間≫ 1800      ≪曲名≫ 若者のすべて

上映会に関する詳細は、追ってこのブログにてお知らせ致します。

Monday 23 March 2015

B.O.I.P Part3


ご無沙汰をしてしまいました。

記事の途中ではありましたが、家族に急病人が出てしまったため、ずいぶんと長い間記事を書けずにおりました。
お休み中ファンの皆様にはご心配を頂き、数々のメールを頂戴しましたこと、改めて御礼を言わせて頂きたいと思います。

ありがとうございました。感謝しています。

日常生活に戻ること叶いましたので、今日からまたブログを再開したいと思います。

「志村正彦さんを、素晴らしいフジファブリックの世界を、できるだけ多くの皆さんに知ってもらいたい。」という思いのもと、始まったブログです。

今までもこれからも、きっと予期せぬ出来事が周りで起こり、平坦な道ばかりが続いていくわけではないのでしょう。それでもブログを始めた時に誓ったあの志が変わることはありません。許される限りずっとずっと末永く続けていくことで、少しでも何かできればいいなと思っております。

どうぞこれからもよろしくお願い致します。


さて、「B.O.I.P」です!

今日は過去のインタビューなどを振り返りながら、ご紹介したいと思います。

「Rockin' On Japan 2007年9月号」でのインタビューの中で、
「改めてフジファブリックってこういうバンドなんだなあと思うところはありますか?」との質問に、

「こういうバンド。うーん・・・・・・・・あんまり、変って言葉使いたくないんですけど、ま、謎というか・・・・・うん。やっぱり一筋縄ではいかないんじゃないのかな、っていうのはありますよね、バンドのイメージとして。(中間省略)ま、自分が思うには、一筋縄ではいかないというか、いきたくないようなとこは、ありますね。そういうバンドではありたいと思いますけど。」


「フジファブリックは、はまんないですねえ。ああ、そういうところにもみんな、期待してくれてるんでしょうね、きっと。なにやるかわからないっていうか。属さないで、でも、いろんなところで活躍をすることによって、なんかお客さんはフジファブリックに対して痛快さを感じているというか。とは思いますけどね。それこそ年末に両国国技館でライブやりますけど、だんだんそういう大きなとこでやることによって、どこにも属せない、こういうバンドがでかくなることによって、痛快さをみんな感じてるんじゃないかなっていうふうに思います。」

「B.O.I.P.」はまさにフジファブリックを、「一筋縄ではいかないバンド」と世に知らしめる曲の一つではないでしょうか。音楽といい、歌詞といい、フジファブリックの予測不可能、良い意味で期待を裏切ってくれるハチャメチャ!な魅力に溢れる曲です。

曲名が謎めいているので、「どうしてB.O.I.P.なんだろう。どういう意味?なんの略?歌詞に何かヒントが隠れているの?」と想像を掻き立てられるのです。(ちなみに、「B.O.I.P.」は「Battle Of Inokashira Park」の略です。)

また3rd album「Teenager」の曲順も特徴的です。
「ペダル」でさわやかに始まり、「記念写真」で少年野球の真っ直ぐな元気と甘酸っぱい思い出を感じつつ、この「B.O.I.P」へ猛烈突入し、「若者のすべて」で淡々と歩きながら思いに耽る、というこの流れが、私は大好きです。

インタビューでも言及している両国国技館ライブ(2007年12月15日開催)ですが、このステージでの「B.O.I.P」はユニークなパフォーマンスで会場をわかせてくれました!

この頃(2006年11~12月)、ライブに対する意識が明確に変わったんです。昔は、メンバーだけでステージが完結してる、内内に向けたそのセッションを、お客さんが眺めてるみたいな感じだったんですけど、この頃から、お客さんに向けてようやくメッセージを届けるという、外に向けてのライブパフォーマンスに変わってきたんじゃないですか。 
(「東京、音楽、ロックンロール 完全版」 P170 2006年11~12月interviewより抜粋)

「今につながってくるんですけど。」(「東京、音楽、ロックンロール 完全版」 P170 2006年11~12月interview)。
そこから一年を経て進化しているのか、演奏しているメンバーたちも、会場にいるお客さんたちも、とても楽しそうにしているのが印象的。曲自体もライブバージョンになっていて、アルバムとは一味違うので必見です!

今日の一曲は、前回と同様こちらです。(feat.ハヤシ from Polysics)


Friday 23 January 2015

B.O.I.P Part2

まずは、「B.O.I.P」という曲名からです。

前回の記事で既述しましたように、これは「BATTLE OF INOKASHIRA PARK」の略です。(「フジファブリック Teenager Band Score」  bass. 加藤慎一による全曲演奏解説に記載)

「INOKASHIRA PARK」とは、東京都武蔵野市にある井の頭公園(正式名称 井の頭恩賜公園)のことだと思われます。日本最初の郊外公園として整備され、東京都民の憩いの場として今も親しまれています。

歌詞の中に登場する池、「井の頭池」は初めて江戸にひかれた水道、神田上水の源で、明治31年に「改良水道」が出来るまでは大切な役割を担っていました。詳しくは、こちらをご覧下さい。東京都西部公園緑地事務所 井の頭恩賜公園

ちなみに「井の頭公園のボートにカップルで乗ると、別れる」というジンクスが、昔あったそうです・・・。今もあるのでしょうか。


曲名が英語表記になっているのも、とてもおもしろいところです。
「BATTLE OF INOKASHIRA PARK」とはせずに、「B.O.I.P」としたところに、フジファブリックらしいセンスを感じます。

ちょっと考えさせるような、
謎めいたような、
一筋縄でいかない曲の始まりのような・・・。

ストレートにいかないところが、非常にフジファブリックらしくていいです!


アルファベット表記になって気がついたのですが、井の頭ははたして「いのかしら」なのか、それとも「いのがしら」なのか?!東京に住んだことのない私は、考えたことすらありませんでした。

正解は、「いのかしら」です。

井の頭池の命名者は、三代将軍 徳川家光といわれています。
意味としては、「上水道の水源」「このうえなく美味い水をだす井戸」という二つの説があります。(井の頭恩賜公園 公園の概要 参照)謎をとく鍵は、この由来にあるのではないかと思いました。(ここからは、私の勝手な推理です。)

日本語では、二つの単語を組み合わせた時に、後ろの単語の頭が濁音になるときとならないときがあります。一般的なルールとしては、「後ろの単語の中に濁音があれば語頭は濁音化するが、後ろの単語の中に濁音がなければ語頭は濁音化しない」というものです。

下(した)+拵え(こしらえ)=下拵え(したごしらえ)
下(した)+調べ(しらべ)=下調べ(したしらべ 『したじらべ』にはならない)

「井の頭」の場合をみてみましょう。

そもそも、「いの+かしら」という二つの単語が一緒になったわけではないことに気付きます。「井戸」や「湧き水、川の流水を汲み取るところ」を意味する「井(ゐ)」と、「ものの先端」を意味する「頭」が、「の」という助詞で繋がれているのです。「井」の「頭」、要するに家光公の仰せになる「水源」です。

「鯛」の「頭」と同じ発想の、「井」の「頭」。
ですから、「いのかしら」に間違いありません。

・・・というのが、私の説です!


英語という視点からみると、これまたとてもカッコいい曲名です。

前置詞atを使って「BATTLE AT INOKASHIRA PARK」でも、inを使って「BATTLE IN INOKASHIRA PARK」でも、もちろん文法的には間違ってはいませんし、曲名として十分成り立つのですが、この「BATTLE」は「なにげない日常の一幕でおこったけんかやいざこざ」のイメージです。

でも前置詞がofの「BATTLE OF INOKASHIRA PARK」になった途端、「歴史に登場する有名な戦い」のひとつにランクインしたような?印象に変わります。

ミッドウェー海戦(『BATTLE OF MIDWAY』1942年)、ナイルの海戦(『BATTLE OF NILE』1798年)など。

そこまでフジファブリックのメンバーが考えて命名したのかはわかりませんが、英語圏の人が曲名から受けるイメージとしては、なかなかではないでしょうか。

次回は過去のインタビューをご紹介します。

今日の一曲は、もちろんこちら。
「B.O.I.P」です。Polysicsのハヤシさん、はじけてます!


Friday 16 January 2015

B.O.I.P

(2015年元旦 忠霊塔から臨む富士山 路地裏の僕たち カズくん撮影
写真提供、どうもありがとうございました。)

山梨の皆様、おはようございます。

昨日の降雪により路面が凍結し、スリップ事故が多発していると今朝のニュースで読みました。山梨日日新聞 2015年1月16日 「スリップ事故86件 5人が軽症」昨夜はバンコクでも甲府、富士吉田、都留の映像がNHKワールドプレミアムにて放送されました。なんと懐かしい景色・・・。甲府は大した雪ではなかったようですが、富士吉田は短時間に15センチ積もったそうで、路面凍結と積雪の影響により県内は交通障害が続いています。

ドライバーの皆様、運転時には十分お気をつけください!


雪で大変な思いをなさっている皆様には、大変申し訳ないようなのですが・・・、こちらバンコクは過ごしやすい気候が続いています。

朝晩は20度ほどでしょうか。

湿度も低く、日本人にとってはクーラーや扇風機を使わずに過ごせる気持ちのよい季節ですが、タイ人は涼しさを通り越して寒いと感じるらしく、周りではトレーナーを着こみ、夕方になると焚き火にあたるというお決まりの「乾季の過ごし方」をしております・・・。

雨が少ないためブーゲンビリアの鮮やかな色が目を引き、庭では蝶やトンボ、空ではツバメが飛び交い、すがすがしい季節です。


さて、2015年初めの曲は、「B.O.I.P」です。
(今年は変化球始まりです!)

この曲は、3rd Album 「Teenager」(2008年1月23日リリース)に3曲目として収録されています。正式タイトルは「BATTLE OF INOKASHIRA PARK」です。(「フジファブリック Teenager Band Score」  bass. 加藤慎一による全曲演奏解説に記載)

志村正彦さんが作詞をしたフジファブリックの楽曲は、84曲発表されていますが(2015年1月15日現在)、作曲を他の人が担当した曲は8曲あり、曲名は以下の通りです。

「水飴と綿飴」(作曲 山内総一郎)
「記念写真」(作曲 山内総一郎)
「B.O.I.P」(作曲 山内総一郎)
「Chocolate Panic」(作曲 志村正彦+Roger Joseph Manning Jr.)
「まばたき」(作曲 山内総一郎)
「星降る夜になったら」(作曲 金澤ダイスケ+志村正彦)
「Mirror」(作曲 山内総一郎)
「熊の惑星」(作曲 加藤慎一)

次回は、引き続き曲紹介です。