Saturday 16 February 2013

2012年 「若者のすべて」 空に響け~"夕方5時のチャイム" レポート1

フジファブリック 志村正彦ファンの皆様、お待たせ致しました。

2012年、志村正彦君のご命日に合わせ、彼の故郷、山梨県富士吉田市では12月22、23、24日の3日間限定で、夕方5時のチャイムがフジファブリックの「若者のすべて」に変わりました。
富士五湖文化センター(市民会館)での作品展、有志によるライブなど、その他様々な催しについて、実行委員より提供して頂きました資料を元に、今年も企画展レポートを書かせて頂きます。

今回の企画展につきましては、私が直接足を運べませんでしたので、皆様に当日の様子がどれほど伝わるのか自信がありませんが、精一杯努めさせて頂きます。

よろしくお願い致します。


2012年12月22日(土) 夕方5時 

チャイム音にアレンジされたあの聞き慣れたメロディー、フジファブリック「若者のすべて」が、静かに、厳かに、富士吉田の街に響き渡りました。

こちらの映像をご覧下さい。


(この映像は、2012年12月22日、富士五湖文化センターにて、富士吉田市役所若手職員プロジェクトチームによって、撮影されました。)

志村君が生前、「ここから眺める富士山が、一番きれい」と言っていた富士五湖文化センターからの風景です。

志村君が大好きだった富士吉田の街、いつも後押ししてくれた富士山、奥田民生さんと衝撃的な出会いをした富士急ハイランド。みんな一緒に、ひとつの風景の中に収まっています。
彼の遺したメロディーが、街を包みこんだ瞬間でした。

正彦君の同級生でもある企画展実行委員長 渡辺雅人さんは、このチャイムが街に響き渡るのを聞いて、「2008年の市民会館凱旋ライブ、2010年の富士急コニファー(フジフジ富士Q)に続いて、正彦の夢の続きをちょっと実現できたのかなと思って、非常に嬉しいです。」と、感慨深そうにおっしゃっていました。

(思い出の横断幕を、月江寺駅に掲げる「路地裏の僕たち」実行委員)

2011年に開催された志村正彦展 「路地裏の僕たち」。
この企画展を通して、マサト隊長(親しみをこめて、以下この呼称にて)は志村君を愛し続けている大勢のファンに出会い、直接そのぬくもりに触れ、「富士吉田市民に、もっと正彦のことを知って欲しい。この街に、こんな偉大な音楽家がいたのだと伝えなければならない。」と、強く思うようになったといいます。

それからというもの、市内全域に流れる防災無線のチャイム、「夕方5時のチャイム」を、「若者のすべて」に変えることができないかと、勤務先である市役所に提案してきました。

時を同じくして、富士吉田市民からも、同じ内容の要望が市役所に寄せられていたこともあり、とうとう夢の企画が実現することとなりました。

「原曲の良さはそのままで、チャイム音に編曲したかった。」という思い通り、素朴で、切なくて、心に響くチャイムが出来上がりました。
原曲はこちらです。


12月21日の夕方と22日のお昼、富士吉田市の防災無線で、夕方5時のチャイムが変更になることを、市民に告げる放送も流れました。

「こちらは、ぼうさいふじよしだです。

夕方のチャイムの変更についてお知らせいたします。
12月22日(土曜日)から24日(月曜日)までの3日間、夕方5時のチャイムの音が、富士吉田市出身のアーティスト、フジファブリック 志村正彦さんの『若者のすべて』に変わります。
市民の皆様のご理解をお願いします。」


ところで、ファンの皆さん。
「防災行政無線」というものが、山梨県においてどれほど県民の生活に密着したものなのか。
ご存知ですか。

元々、防災行政無線とは、通信事業者の回線が使用できない災害時において、県庁の災害対策本部と各市町村にある連絡本部、消防本部などとの間で、災害情報の収集・伝達を行うために整備してある無線通信網のことです。(山梨県 ホームページ参照)

これは他県でも同じだと思います。

しかしこの防災無線、これだけに留まらず大活躍をするのです。

まず、朝と夕方の時報。場所によっては、昼にも鳴ります。
各市町村で、鳴る音や音楽は異なります。

終戦記念日、広島・長崎原爆投下の日などには、市民に黙祷を促す放送が流れます。

これに加えて、熊・イノシシ・猿出没につき注意(「今日何時ごろ、どこどこ地区に熊がでましたので、注意してください。」など)、

振り込め詐欺、不審者目撃など犯罪に対する注意喚起、

尋ね人に関する情報(例えば、「何々町の何々さん 性別 年齢 が今日何時ごろ、自宅を出たままいなくなりました。いなくなった時の服装は何色のシャツに、何色のズボンでした。見かけた方は、最寄の警察署にご連絡下さい。」「先程放送した何々さんは、何時ごろ無事保護されました。市民の皆様、ご協力ありがとうございました。」)、

富士吉田特有のものですと北富士演習場への立ち入り許可日のお知らせ、などなど。

地域の情報をネットなどを介さずに、老若男女に伝えてくれる防災無線。高齢化の進む山梨では、とても重要な位置を占めています。

勤めや用事などで自分の街を離れる人たちのために、防災無線の内容をメールでお知らせしてくれるサービスもあります。
(こちらをご参照下さい。
富士吉田市民でなくても、富士吉田の防災無線で流した情報を、登録すればいつでも見ることができます。やまなしくらしねっと
吉田の方々の暮らしが垣間見えて、ほのぼのした気分になります。)

チャイムの音で、現時刻を知ることもしばしば。
お年寄りも聞こえるようにという配慮からか、結構大きな音で鳴り響き、スピーカーもあちらこちらにあるので、どこにいても大抵聞こえるものです。

その夕方5時のチャイムが志村君の曲になったということは、私達山梨県民にとって、どれほどすごいニュースだったのか。そして、どれほどの反響だったのか、皆さん、ぜひ想像してみてください!

正彦君が育った町では、幼少の頃から彼を知る町のみなさんが、この3日間、チャイムが鳴る時間になると外に出てきて、皆で空を見上げながら手を合わせ、拝みながらあのチャイムを聞いたときいております。


「途切れた夢の続きを取り戻したくなって」・・・

志村君の「夢」のひとつを、地元の友人、ご家族、ご近所の親しい方達、富士吉田市民、そしてフジファブリックファンが、一緒に見届けた一日目でした。

次回は、いよいよ12月23日について。
作品展に展示された品々、下吉田倶楽部・市民会館で開催されたライブなどについてレポート致します。

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