Saturday 23 February 2013

2012年 「若者のすべて」 空に響け~"夕方5時のチャイム" レポート2

2012年12月23日(日) 

富士吉田は快晴。
凍てつく空気の中、雪煙をあげながら富士山が見守ってくれています。

富士急行線下吉田駅の構内にある下吉田倶楽部では、前日から色々な準備が行われていました。

同級生運んできて下さったものは…。
そうです!

昨年(2011年)も展示された志村君のバイクです。
前回見逃してしまったファンも見られるようにと、実行委員からの優しい心遣いでした。

ひょんなことから、志村君をプチセレブにしてしまった(志村日記より)あのバイクですが、年月の経過など全く感じさせずピカピカに輝いていて、ご家族が大切にしていらっしゃるのが伝わってきます。
今回は加えて愛用の自転車も展示。

「このバイクや自転車に乗って、事務所やコンビニに行ったり東京の家に帰ったりしていたのかな。」

と思うと、志村君の生活を近くで支えていたバイクと自転車に、なんだか頭が下がる思いです。
ありがとう。



写真も、展示されました。


2011年の企画展で、会場に上がる階段の壁に展示され、大好評を博した山梨県立甲府城西高校の小林一之教諭と生徒さんによる小論文。
今回は、23日に下吉田駅にて、24日に市民会館にて閲覧コーナーが設けられました。

企画展にいらっしゃっていた男性ファンの方がCATV富士五湖のインタビューに、「高校生の小論文が、心に響きました。愛を感じました。」とこたえていらっしゃったのが、印象的です。
小林先生は小論文演習の時間に、志村君の書くフジファブリックの歌詞を題材として扱い、山梨日日新聞に取り上げられたこともあります。
(そのときの記事はこちら。
2011年7月5日記事 「山梨日日新聞 授業で寄り道」

小林先生のお書きになった「志村正彦の夏」は、こちらでご覧になれます。
2012年1月30日 「志村正彦展」 企画展レポート6 最終回

今日は先生の文に加えて、数ある生徒さんの作品の中から一つ紹介させて頂きます。

命ある温かいもの
        近藤 光

 フジファブリックの曲は、どれもが不思議と強く惹かれるものばかりだ。それはおそらく、誰しもが過去へと置いてきてしまう後悔や思いを、志村さんの歌には自然と重ねられるからなのかもしれない。『陽炎』は暑い夏の日の情景が目に浮かぶ曲だ。初めてこの曲を耳にしたとき、「きっと今では…」のところが特に印象に残った。少年時代の楽しかった記憶と同時に、その瞬間はもう二度と手に入らないものなのだという切なさも感じられる。「無くなったもの」とは、誰かへの気持ちや、昔の風景なのだと思う。そこに当たり前のように存在していたものが、時間とともにやがては消え去ってしまうのだという寂しさと、子供の頃の自分を思う一種の懐かしさがこの歌からは伝わってきた。

 
 そして『若者のすべて』は、私が一番心を打たれた大好きな曲である。今では夕方になって5時のチャイムを聴く度に、この歌を思い出している。歌詞に何度もでてくる会って何かを伝えたい人とは、恋人や友達といった一緒にいた相手だけではなく、もしかしたら昔の自分自身でもあるのではないかと感じた。決して戻ることのできない過去へ抱く切なさと同時に、「そっと歩き出して」という歌詞からは、これからの未来へ向かっていこうとするひたむきな強さも伝わってくるような気がして、その静かなメロディと詩を聞くたび私自身も勇気をもらえる一曲である。
 
 志村正彦さんは自らの思い出の痕を、歌うことで形にしている。だからどの曲も命ある温かいものになり、どこか聴く人の背中を押してくれる強さをもっているのだと思う。フジファブリックのたくさんの歌が、私達10代に今の一瞬一瞬を大事に生きることの大切さを語りかけてくれているように感じた。ここから、大きな歌の力と出会うことができた、そんな気がしている。



高校生がここまで深い洞察力をもって志村君の書く歌詞を読み込んでくれているということが、ファンとしては大感激です。また地元山梨でこのような取り組みがなされていることはとても嬉しいことです。
これからもぜひ若い世代の方々に、志村君の書く独特の世界を楽しんでもらえたらいいなと思いました。

それにしても、感受性の豊かな青春時代にフジファブリックを聴いていたらどんなだっただろう。
想像にあまりあります。

「角川文庫 夏の名作100選」などにある「名作」といわれる小説が、学生時代と大人になってから読むのとではずいぶん違う感想を抱くのと同様、小論文を書いた生徒さん達がこの先10年後、20年後にフジファブリックをどういうふうに聴いていくのだろうかと、とても興味がわきました。

数年後にもう一度、この生徒さんたちに同じ題材で小論文を書いてもらえたらステキだな、と思いました。


午後は15時より下吉田倶楽部にて、富士五湖アコースティックギタークラブなどによるライブが開催されました。
ライブバー ジュゲムの店長 伊藤進さんと、ギタークラブのメンバーがトップバッターで、ライブが始まりました。

「自分の作った音楽をきいてもらいたい」と、ひたすら純粋に思い続けた志村君。
デビュー当時はステージ衣裳にもあまりこだわらず、「音楽をするのに、ほかは関係ない」というポリシーを生涯貫きました。
私の勝手な想像ですが、今でも「俺の作った曲を聴いて欲しい」とは思っていても、「フジファブリックの音楽を通して、俺を思い出して欲しい」とは、思っていないのではないでしょうか。

そう思わせるほど音楽に没頭した人生でしたので、プロもアマチュアも飛び入り参加も問わず、フジファブリックの音楽を皆で楽しんでしまおう!という企画は、志村君にふさわしい企画だったと思います。

山日記事にも取り上げられていた東京の大学生・三橋亮太さんと、富士吉田市出身で東京在住の渡辺大地さん。(山梨日日新聞 2013年1月8日付記事 「『フジファブ』志村 富士吉田でしのぶ 心つなぐ故郷のチャイム」 より)
「透明感あふれる、まっすぐで素朴な歌声や演奏が、観客には大好評だった」と、あります。

「フジファブリック 志村正彦さんに憧れて、この世界に入りました。」と、言ってくれるミュージシャンの活躍は、志村君が大切にしていたものが生き続けている一つの証として、とても嬉しいことです。
ヤングミュージシャン達、応援しています!!

志村君を慕う人たちが集まったライブ。
志村君への最高のメッセージだったでしょう。

ライブの詳しいようすは、後日別の記事にて特集いたします。

次々と曲が演奏される中、2日目の夕方5時のチャイムの時間を迎えました。


「いつもの丘」のモチーフとなった忠霊塔(正式名称は「新倉富士浅間神社」)から眺める富士吉田の街です。

「独りで行くと決めたのだろう」(「浮雲」より)

そんな覚悟を決めてこの風景を見ていた当時の志村君が、数年後に、それも自分がこの世を去った後に自分の作った曲がチャイムとなって富士吉田の街に響き渡ると知ったら、どんな顔をしたでしょうね。

防災無線のスピーカーが近くにないためチャイム音が反響し、少々聞こえづらいですが、ぜひこの風景と共にお聴き下さい。

志村君の思い出の地、新倉富士浅間神社では宮司様の温かいお心遣いにより、チャイムが変更された3日間、境内でフジファブリックの音楽を流して下さいました。忠霊塔で流れる曲の数々、お聴きになったファンの方も多いと思います。

地元の皆さんが志村君を思ってくれるお気持ちが、何より嬉しい企画展であることは、前回も今回も共通しております。「何か」を求めて富士吉田の地を訪れるファンの心を、優しく温めて下さったに違いありません。

次回はレポート第三弾。レポートもいよいよ佳境に入ります。富士五湖文化センター(市民会館)の展示やライブの様子などについてです。

Saturday 16 February 2013

2012年 「若者のすべて」 空に響け~"夕方5時のチャイム" レポート1

フジファブリック 志村正彦ファンの皆様、お待たせ致しました。

2012年、志村正彦君のご命日に合わせ、彼の故郷、山梨県富士吉田市では12月22、23、24日の3日間限定で、夕方5時のチャイムがフジファブリックの「若者のすべて」に変わりました。
富士五湖文化センター(市民会館)での作品展、有志によるライブなど、その他様々な催しについて、実行委員より提供して頂きました資料を元に、今年も企画展レポートを書かせて頂きます。

今回の企画展につきましては、私が直接足を運べませんでしたので、皆様に当日の様子がどれほど伝わるのか自信がありませんが、精一杯努めさせて頂きます。

よろしくお願い致します。


2012年12月22日(土) 夕方5時 

チャイム音にアレンジされたあの聞き慣れたメロディー、フジファブリック「若者のすべて」が、静かに、厳かに、富士吉田の街に響き渡りました。

こちらの映像をご覧下さい。


(この映像は、2012年12月22日、富士五湖文化センターにて、富士吉田市役所若手職員プロジェクトチームによって、撮影されました。)

志村君が生前、「ここから眺める富士山が、一番きれい」と言っていた富士五湖文化センターからの風景です。

志村君が大好きだった富士吉田の街、いつも後押ししてくれた富士山、奥田民生さんと衝撃的な出会いをした富士急ハイランド。みんな一緒に、ひとつの風景の中に収まっています。
彼の遺したメロディーが、街を包みこんだ瞬間でした。

正彦君の同級生でもある企画展実行委員長 渡辺雅人さんは、このチャイムが街に響き渡るのを聞いて、「2008年の市民会館凱旋ライブ、2010年の富士急コニファー(フジフジ富士Q)に続いて、正彦の夢の続きをちょっと実現できたのかなと思って、非常に嬉しいです。」と、感慨深そうにおっしゃっていました。

(思い出の横断幕を、月江寺駅に掲げる「路地裏の僕たち」実行委員)

2011年に開催された志村正彦展 「路地裏の僕たち」。
この企画展を通して、マサト隊長(親しみをこめて、以下この呼称にて)は志村君を愛し続けている大勢のファンに出会い、直接そのぬくもりに触れ、「富士吉田市民に、もっと正彦のことを知って欲しい。この街に、こんな偉大な音楽家がいたのだと伝えなければならない。」と、強く思うようになったといいます。

それからというもの、市内全域に流れる防災無線のチャイム、「夕方5時のチャイム」を、「若者のすべて」に変えることができないかと、勤務先である市役所に提案してきました。

時を同じくして、富士吉田市民からも、同じ内容の要望が市役所に寄せられていたこともあり、とうとう夢の企画が実現することとなりました。

「原曲の良さはそのままで、チャイム音に編曲したかった。」という思い通り、素朴で、切なくて、心に響くチャイムが出来上がりました。
原曲はこちらです。


12月21日の夕方と22日のお昼、富士吉田市の防災無線で、夕方5時のチャイムが変更になることを、市民に告げる放送も流れました。

「こちらは、ぼうさいふじよしだです。

夕方のチャイムの変更についてお知らせいたします。
12月22日(土曜日)から24日(月曜日)までの3日間、夕方5時のチャイムの音が、富士吉田市出身のアーティスト、フジファブリック 志村正彦さんの『若者のすべて』に変わります。
市民の皆様のご理解をお願いします。」


ところで、ファンの皆さん。
「防災行政無線」というものが、山梨県においてどれほど県民の生活に密着したものなのか。
ご存知ですか。

元々、防災行政無線とは、通信事業者の回線が使用できない災害時において、県庁の災害対策本部と各市町村にある連絡本部、消防本部などとの間で、災害情報の収集・伝達を行うために整備してある無線通信網のことです。(山梨県 ホームページ参照)

これは他県でも同じだと思います。

しかしこの防災無線、これだけに留まらず大活躍をするのです。

まず、朝と夕方の時報。場所によっては、昼にも鳴ります。
各市町村で、鳴る音や音楽は異なります。

終戦記念日、広島・長崎原爆投下の日などには、市民に黙祷を促す放送が流れます。

これに加えて、熊・イノシシ・猿出没につき注意(「今日何時ごろ、どこどこ地区に熊がでましたので、注意してください。」など)、

振り込め詐欺、不審者目撃など犯罪に対する注意喚起、

尋ね人に関する情報(例えば、「何々町の何々さん 性別 年齢 が今日何時ごろ、自宅を出たままいなくなりました。いなくなった時の服装は何色のシャツに、何色のズボンでした。見かけた方は、最寄の警察署にご連絡下さい。」「先程放送した何々さんは、何時ごろ無事保護されました。市民の皆様、ご協力ありがとうございました。」)、

富士吉田特有のものですと北富士演習場への立ち入り許可日のお知らせ、などなど。

地域の情報をネットなどを介さずに、老若男女に伝えてくれる防災無線。高齢化の進む山梨では、とても重要な位置を占めています。

勤めや用事などで自分の街を離れる人たちのために、防災無線の内容をメールでお知らせしてくれるサービスもあります。
(こちらをご参照下さい。
富士吉田市民でなくても、富士吉田の防災無線で流した情報を、登録すればいつでも見ることができます。やまなしくらしねっと
吉田の方々の暮らしが垣間見えて、ほのぼのした気分になります。)

チャイムの音で、現時刻を知ることもしばしば。
お年寄りも聞こえるようにという配慮からか、結構大きな音で鳴り響き、スピーカーもあちらこちらにあるので、どこにいても大抵聞こえるものです。

その夕方5時のチャイムが志村君の曲になったということは、私達山梨県民にとって、どれほどすごいニュースだったのか。そして、どれほどの反響だったのか、皆さん、ぜひ想像してみてください!

正彦君が育った町では、幼少の頃から彼を知る町のみなさんが、この3日間、チャイムが鳴る時間になると外に出てきて、皆で空を見上げながら手を合わせ、拝みながらあのチャイムを聞いたときいております。


「途切れた夢の続きを取り戻したくなって」・・・

志村君の「夢」のひとつを、地元の友人、ご家族、ご近所の親しい方達、富士吉田市民、そしてフジファブリックファンが、一緒に見届けた一日目でした。

次回は、いよいよ12月23日について。
作品展に展示された品々、下吉田倶楽部・市民会館で開催されたライブなどについてレポート致します。

Wednesday 6 February 2013

「ツナグ」を観ました


今週末は、旧正月のお祝いを控えております。
華僑の多いタイでは、この時期、街は赤と金色に彩られ、とても賑やかに華やかに、そして「縁起が良さそう」な気分になります。

春節の場合、元旦よりも大晦日の方が忙しいので、華僑はお世話になった方々に手土産を持ってご挨拶に行ったりと、気忙しい数日を過ごします。
中華系の会社は長いお休みに入り、皆がウキウキするボーナスの季節でもあります。

そんなバンコクから、またまた雪の山梨に思いを馳せております。

富士河口湖町では、すでに5センチ積もったとききました。
皆様、安全運転でお気をつけ下さい!



先日、日本へバタバタ帰国をした時に、日本行きの飛行機の中で、辻村深月さん原作の「ツナグ」という映画をみました。

詳しくは、こちらのホームページをどうぞ。
映画「ツナグ」 公式サイト

ストーリーのあらすじは、

「たった一人と一度だけ、死者との再会を叶えてくれる人がいるらしい━━。
その時、最後に伝えたい想いは何ですか?」

詳しいストーリーは、こちらをご参照下さい。
映画「ツナグ」 公式サイト ストーリー

死者との再会を橋渡ししてくれる「ツナグ」。でもそのチャンスは、死者にとっても生きている側にとっても、たった一度だけです。
「ツナグ」という世襲の仕事を通して、様々な人の人生を垣間見る主人公。
人の生き様や死に様、また「ツナグ」という仕事を通して、いろいろな物事の深さをしっていきます。

原作を書いた辻村さんは、2012年直木賞受賞作家で、1980年生まれ 山梨県笛吹市出身。そんなこともあり昨年は、地元紙「山梨日日新聞」でも多数の記事や特集が組まれました。笛吹市役所には垂れ幕がかかるほど、地元は盛り上がりました!

同じく1980年生まれ 山梨県富士吉田市出身の志村正彦君。

「山梨出身の同い年作家とミュージシャンの興味深いコラボ(同じ1980年生まれでも、学年は志村君が一つ下ですが)」など、地元ならではの企画もありえたかもしれないなと、ふと考えたりもしました。

そしてやはり映画の間中、考えていたのは志村君のことでした。

原作の第一章に、急死した人気女性タレントとファンのことが、取り上げられていたことも大きかったからでしょうか。

志村君だったら、誰に会いたいだろうか。
たった一度しかないチャンスを、誰のために使うのかな。

皆さんだったらその時、誰に何を伝えますか?
色々考えさせられる内容の映画でした。


今日の一曲は、「セレナーデ」です。

これは私の勝手な推測ですが・・・。
志村君だったら・・・、誰にも会わないのではないかな。

「会えた人は嬉しいけど、会わなかった人はそれを知った時、『自分を選んでくれなかった』と悲しい気持ちになるのだから、いっそ会わないままの方がいいや。どうせこっちに来たら会えるから、その時まで待ってるよ。」とか、言いそうだな・・・。

セレナーデを聴いて、勝手に思ったのでありました。

企画展レポート、お待ち下さい!
マサト隊長ご指導の下、着々準備しております。