Wednesday 28 December 2011

2011年 志村正彦展 「路地裏の僕たち」から、来られなかったファンの皆さんへ 企画展レポート1



時がたつのは早いもので、企画展からもう4日。
今年も残り3日となりました。

改めまして、12月23,24日に開催された「志村正彦展 路地裏の僕たち」にいらして下さった皆様、本当にありがとうございました。
富士吉田市や山梨県のみならず、日本全国から多くの方がいらして下さいましたこと、本当に嬉しく思っております。

大盛況で、予想以上に待ち時間が長くなってしまったにも関わらず、皆さん、きちんとお行儀良く並んで下さり、ありがとうございました。会場に入ってからも列は乱れず、静かにマナーを守って下さる皆様をみて、ファンの一人としてとても誇らしかったです。

そして気持ちがあっても来られなかったファンの皆さん。
実行委員の皆さんの温かいお計らいにより、「志村正彦展 路地裏の僕たち」について、詳しくお伝えできることとなりました。

「当日の雰囲気を、来られなかった皆さんにも感じてもらえたら・・・。」

同級生の皆さんのお気持ちに恥じないよう、一生懸命書かせていただきたいと思います。
今日から数回に分けて、可能な限りの画像も添えて、お伝え致します。

23日も24日も、素晴らしい天候に恵まれ、市民会館からは雪化粧をした素晴らしい富士山を望むことができました。「富士吉田の印象は、平凡ですが、富士山がびっくりするぐらい大きかった!!」という他県からのファンが、とても多かったですね。
青空にグレーの建物が、映えていました。

入り口では、「志村正彦展 路地裏の僕たち」の看板が(上参照)、お迎えしてくれました。


皆さんご存知の通り、「志村正彦展 路地裏の僕たち」は、富士吉田に住む志村君の小中高の同級生と地元ファンによって開催されました。
この企画展がどのような思いから始まったのかを、志村ファンの皆さんにはぜひ知っていただきたきたく、会場に静かに掲げてあった言葉をここに記します。
この中に、皆さんの気持ちが集約されているからです。

(「路地裏の僕たち」実行委員会の皆さん。
両国国技館のDVDみたいでしょ?)


富士吉田市出身の志村正彦率いるロックバンド「フジファブリック」は、TVやメディアなどに露出することなく独自の音楽性を貫くスタイルにより、広くお茶の間に知れ渡るグループではありませんが、富士吉田の人たちが想像する以上に多くのファンに愛されているグループです。


下吉田第一小学校、下吉田中学校と吉田高校で出会った同級生で2000年に結成したバンドはデビューを目指し上京、紆余曲折を経て2002年にはインディーズ1stアルバムを発表2004年にはメジャーデビューを果たし、志村正彦の創り出すその独創的な詩と旋律、そしてその作品に命を吹き込む彼のボーカルに多くのファンが魅了されていきます。
2005年、2008年にアルバムを発表、
ライブ活動も日比谷野外大音楽堂、両国国技館と年々規模を拡大していきました。

更に2008年5月31日には志村正彦にとって大きな夢だった富士五湖文化センターでのライブを実施。ファンで埋め尽くされた会場には志村正彦の同級生もたくさん集まり、中学生時代の大地讃頌で始まったライブはファンの間では今も伝説となっています。

2009年5月、新たなステージを迎えた4枚目のアルバムを発表し、更に大きな活躍が期待されていましたが、同年12月24日、志村正彦は突然この世を去ってしまいました。
生前、志村正彦は富士吉田を心から愛し、
その想いを歌に残しています。またインタビュー記事などでも必ず富士吉田を話題にし、の心にはいつも富士吉田が大きく存在していたことと思います。
そんな彼の愛した富士吉田を、
多くのファンは今も想い続けており下吉田周辺ではファンらしき若者が市内を散策している姿を頻繁見かけます。

 同級生である僕たちは、誰もが子どもの頃に持っていた「夢」をずっと追い続けた同級生の「まさひこ」への思いを、ファンはもちろん富士吉田の人たちに知ってもらいたくこの企画を立ち上げました
志村正彦の残した音楽の足跡と彼の音楽に対する熱い想い、
同級生「まさひこ」への僕たちの想い、そして志村正彦をいつまでも想い続けてくれるファンの思い、この3つの想いを、「まさひこ」のご両親に全面的にご協力いただき展示します。
くしくも企画展は彼の3回忌の日となりましたが、
ぜひしんみりすることなく、僕らと共に「まさひこ」を感じて楽しんで欲しいと思います。


こんな企画を開くことができたこと、無理なお願いを笑顔で引き受けてくれた「まさひこ」のご両親、「まさひこ」が大変お世話になった事務所、関係者の皆様。そしていつまでも「まさひこ」を愛してくれるファンの皆さま、「まさひこ」がいつまでも愛していた富士吉田の皆さま。そしてフジファブリックを続けることに決意してくれたメンバーに感謝します。ありがとう。




志村正彦展「路地裏の僕たち」実行委員会一同


当日の朝、お客様を招き入れる開場10時直前に、同級生の皆さんが心を一つにすべく、中学時代の思い出の曲「大地賛頌」を大合唱しているのを聴きました。
バスとテノールだけで構成される渋い大人の男の「大地賛頌」(実行委員全員が男性という理由から)。声は渋くカッコよく、でも中学生のような表情をする皆さんの顔を見ていたら、「これからすごいことが、始まるんだ。」という高揚感に、胸がドキドキしてしまいました。


次回からは展示品について、お伝え致します。
大きな志村君の写真に出迎えられ、ファンの皆さんからの色紙や絵。ライブの写真。「まさひこ」の思い出の写真。フジファブリック・志村正彦の楽器や衣装。山梨の高校生や正彦君の恩師が描いた肖像画。
まだまだたくさんありました!



会場ではフジファブリックの曲がずっとかかっていましたが、今日の一曲はやはり「陽炎」です。
「英雄気取った 路地裏の僕」は、今でもこの仲間たちの「英雄」です!



Saturday 24 December 2011

愛の機能



今年もまた、クリスマスイブという日を迎えました。

昨年は、「なぜ神様は、クリスマスイブという特別な日に、志村君を連れて行ってしまったのだろう。」という思いが強く、その気持ちから記事を書きました。今年もこの特別な日に、ぐるぐるといろいろなことを考えました。

思い出したのは司馬遼太郎さんのエッセイ、「愛の機能」です。
司馬さんは、言います。

恋人にしろ、夫婦にしろ、理解しあった、と思っているのは、互いによさそうに錯覚しているだけのこと。人間、凄味をかくして暮らしている。その自分のもつ凄味にふるえあがったればこそ、釈迦や親鸞やキリストが出たのだ。
人間、百万千万一億も理解しあったところで、可愛らしくはならない。互いに可愛らしい生きものではない。そのために神は、愛を作った。愛という、理解を絶っしたふしぎな機能を作った。ただ愛のみによって、凄味をもった人間が相寄ることができた。友情も、親子も理解ではない。ましてや男女の敵は理解である。

そして、司馬さんは、静かに語ります。

平凡なことだが、愛情しかない。理解は地上のものであり、愛情は天からくるものである。なぜならば神が与えたものだからだ。



今回の企画展には、実に多くのファンの方が県内のみならず、日本全国からいらして下さいました。そして、この企画展を初めに企画して下さった連合自治会の皆さん、主催の同級生と地元ファン。
一人一人、色々な想いを胸に秘めていらしたでしょうが、全員が共通して持っていたものは、志村正彦君への愛情だったと思います。人間の凄味を悠に超える愛情。

皆さんは、初めてフジファブリックの音楽を聴いた日のことを覚えていらっしゃいますか。
無二の音楽と歌詞を好きになるのに、「理解」など必要ありませんでしたよね。フジファブリックの音楽が、志村正彦くんが好き。
それに尽きます。



今年は昨年とは全く違う形で、地元山梨でも志村君のご命日を迎えることができました。志村君への変わらぬ愛情を、実に大勢の皆さんに見せて頂いたこと、本当に感謝しています。

企画を立ち上げて下さった、地元連合自治会の皆様。皆様の文化祭が作ってくださった大きな大きなきっかけがあったからこそ、今があります。
主催・実行して下さった同級生と地元ファンの皆様。私達には分からない、多くのご苦労がおありになったと思います。
大事な息子さんの思い出の品々を、快く公開して下さった正彦君のご両親様。ファンのためにという温かい気持ちが、皆に伝わったに違いありません。
臨時停車をして下さった、富士急行の皆様。遠くからきたファンが、とても助かりました。
新倉浅間神社、志村家の菩提寺他、志村くんにゆかりのある土地の皆様。常日頃より変わらぬ温かいお心遣いに、ファンはいつも感謝しております。
山梨日日新聞の記者、YBSテレビの方々、地元でこのニュースが流れたことが、今後のとても大きなステップになったと思います。
そして富士吉田まで来て下さった多くのファンの皆様。気持ちがあっても残念ながら来られなかったファンの皆様。皆さんの思いが身に染みる企画展でした。
このほかにも、多くの方々がこの企画に携わってくださいました。

皆さん、本当に本当にありがとうございました。

私は「これから世界が志村正彦くんの価値に気付くんだ。」と、いつも思っています。このブログもそういう思いから、始まりました。
志村君が大きく世界に羽ばたいていくのを、これからも皆さんと一緒に見守っていけたら幸いです。

最後に…。
志村君、ありがとう。あなたは、私たちの誇りです。ずっとずっと大好きだよ!!

<嬉しいお知らせ>
今回の企画展に気持ちがあっても来られなかったファンの方に、嬉しい朗報です!
実行委員の方々の温かいおはからいにより、このブログ内にて企画展の一部を、ご紹介できることとなりました!!
企画展の熱い思いをできるだけフジファブリックファンの皆さんにお届けできるように、次回から何回かに分けて、記事にさせていただきます。
乞うご期待!

Friday 23 December 2011

志村正彦展 初日

富士吉田市で開催されている「志村正彦展 路地裏の僕たち」、無事初日が終了致しました。
明日いらっしゃるファンの楽しみが無くなってしまうので、今夜は展示についての詳しい説明はご遠慮させて頂きますが、大盛況だったことをご報告させていただきます。

会場が開く午前10時前からファンの列ができ、それはみるみるうちに長くなり・・・。一日を通して平均待ち時間1~2時間と、大変な混雑ぶりでした。ファンの方に伺うと、退屈しのぎに前後の方といろいろなお話をしながら、待ち時間をすごした方もいらしたそうです。

市民会館の駐車場では普段あまり見かけない、名古屋、神戸、多摩など他県ナンバーもちょこちょこと見かけました。

下吉田駅隣の駅カフェには、志村ファンが楽しめるサプライズも・・・。同級生の皆さん、ナイスアイデアです!明日いらっしゃるファンのためにも、ここまでにしておきます。


この企画展、昨日は山梨日日新聞の社会面(芸能面ではなく、社会面です!社会現象として取り上げられるということは、すごいことです)に、今日は夕方6時のYBS放送県内ニュースの中で大々的に取り上げられていました。とにかく、富士吉田の街全体が、志村フェスティバルかのごとく、盛り上がっております!!

明日は最終日です。
東部富士五湖地方は、最高気温4℃、最低気温-8℃と明日も寒くなりそうですが、くれぐれも防寒対策万全にいらして下さい。

Tuesday 20 December 2011

志村正彦展 お天気情報


(河口湖の逆さ富士)

全国のフジファブリックファンの皆さん、山梨県の皆さん、「志村正彦展」までいよいよあと3日となりました。

ところで気になる当日のお天気ですが、企画展開催前日の22日に山梨県地方は「曇り一時雨か雪」、降水確率50%の予報となっております(平成23年12月20日11時現在)。予想最高気温は10℃(6~14℃)、予想最低気温は0℃(-2~2℃)です。

前日の22日からいらっしゃる方は、寒さ対策に合わせて雨具もお持ちになったほうがよろしいかと思います。またくれぐれも濡れた道でスリップしませんように、ご注意下さい。夜から早朝にかけて、路面凍結いたします。

23日、24日は共に「晴れ時々曇り」で、降水確率は10%です。24日は予想最低気温-4℃と少し冷えこみますが、穏やかな天候に恵まれた素晴らしい企画展になりそうです。

今のところはこのような予想ですが、天気は刻々と変化していきますので、山梨県地方の詳しいお天気はこちらのサイトをご利用下さい。10分ごとに情報が更新されます。
甲府地方気象台
ちなみに「甲府」とありますが、富士吉田は甲府地方気象台の管轄内ですので、ご安心下さい。

私はこの「甲府地方気象台」のサイトが大好きで、中でも「季節現象の観測」をよく眺めております。自然豊かな山梨が他所にいても手に取るようにわかるので、よろしかったらご覧になってみて下さい。
各年の霜・氷・雪の初観測と終日がわかる「霜・氷・雪の記録」を始め、全国ニュースでも話題になる「富士山、甲斐駒ケ岳 初冠雪の記録」。「生物季節(植物・動物)の記録」では、季節を象徴する植物の開花や発芽、また動物や鳥、昆虫の初鳴や初見がわかります。ふるさとの季節の移ろいが感じられて、とても心の和むサイトです。

話がそれてしまいましたが、「陽炎」の路地裏や「浮雲」の「いつもの丘」を歩きながら、ぜひ「黒服の人」の寒さを体験してみて下さいね!

Sunday 18 December 2011

「志村正彦展」 富士急行線に関する詳しい情報



昨日の記事に加えまして、富士急行線に関する詳しい情報が入ってきましたので、ここにお知らせ致します。


23日、24日の志村正彦展開催日に合わせ、富士急行線フジサン特急の一部とJR新宿駅と河口湖駅を結ぶ直通列車「ホリデー快速河口湖号」が下吉田駅で臨時停車することになりましたので、ご案内いたします。
 
1.一部のフジサン特急が下吉田駅に臨時停車
   下り(河口湖ゆき) 10:00~17:00の間
   上り(大月ゆき)   10:00~17:30の間
   上記時間に運転するフジサン特急が下吉田駅に
   臨時停車します。

2.JR中央線との直通電車が下吉田駅に停車します
   「ホリデー快速河口湖号」の臨時停車
   1号(河口湖行き) 新宿8:14発
   2号(新宿行き)   河口湖16:00発

 (ただし、当日の運行状況等により変更する場合があります)


富士急行さん、温かいおはからいありがとうございます。これで全国から集まるフジファブリックファンも、効率的よく富士吉田を散策することができます。

2008年5月に市民会館で行われたフジファブリック凱旋ライブの時、月光寺の駅に掲げられた横断幕に書いてあった温かい言葉が、今でも多くのファンの心に焼き付いています。

「夢よかなえ! 聴かせておくれよ フジファブリック!!」

そして、このブログでもよく使わせていただいているあの言葉。

「富士山の麓から 世界に響け! フジファブリック!!」

富士吉田の皆さんの温かい気持ちが、今回の企画展を可能としました。一ファンとして、本当にありがたいことだと思っています。
志村君、あなたの大好きな富士吉田の皆さんが、あなたのために一生懸命がんばって下さっているよ。

企画展まであと5日。
ファンの私たちにも、主催者の方々にも、忘れられない企画展になることと思います。 

Saturday 17 December 2011

志村正彦展「路地裏の僕たち」




志村正彦展まで、いよいよ1週間をきりました。
富士吉田では志村君の同級生の皆さんが、着々と準備を進めて下さっています。


特別展の詳細が明らかになりましたので、ここにお知らせ致します。




(主  催)
 志村正彦展「路地裏の僕たち」実行委員会

(開催日時)
平成23年12月23日(金・祝)・24日(土)
午前10時~午後5時

(開催場所)
富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)3階市民ギャラリー
(詳しい場所、交通アクセスにつきましては、こちらのホームページをご参照下さい。富士吉田市民会館 富士五湖文化センター)

(企画内容)
①志村正彦と音楽
・音楽活動で使用していた楽器、アンプ ライブで使用した衣装などを展示します。
・ライブ活動を収録したDVDなどを上映します。


②同級生「まさひこ」
 ・同級生の「まさひこ」との思い出を展示します。


③志村正彦とファン
  ・ファンの皆さまの志村正彦への想いを展示します。
  ・山梨県内の高校生の作品を展示します




また企画展当日には、地元富士急行さんの温かいお計らいにより、普段は停車しない特急とJR直通の快速が下吉田駅に停車することとなりましたので、合わせてお知らせ致します。


下吉田駅に志村スペシャルで停車する列車名
フジサン特急 
8:14新宿発のホリデー快速


全国のファンの皆さん、そして富士吉田市民、山梨県他地方の皆さん。
この色々な意味で「特別」な企画展に、山梨の生んだ世界に誇るミュージシャン、志村正彦くんがどれ程がんばっていたのか、ぜひ見にいらして下さい。
もし志村君が他の違う街で生まれ育っていたら、フジファブリックの音楽はなかったと私は確信しています。
あの街で、あのご家族に生まれ、あの仲間たちとあの自然の中で育ったからこそ、フジファブリックの音楽がある。

それを肌で感じて頂けたら、幸いです。

Thursday 15 December 2011

世界のフジファブリック 番外編





久々の更新です。志村君、怠けていてゴメンなさい。

このブログでは、世界でフジファブリックの音楽がどのように評価されているかを、何度かご紹介して参りました。
今日はその番外編です。
このブログが始まって以来この1年半の間に、アクセスして下さった方々が住む国を、アクセス数の多い順にご紹介致します。






1位 アメリカ  2位以下を引き離してダントツトップは、アメリカです。ニューヨーク在住のファンが、コメントを英語で下さったこともあったぐらい(コメントというのは、なかなかつきにくいものなのです…)、Japanese Rockに対するアメリカ人の熱意が伺えます。在米日本人の人口も高いので、それも一つの理由かもしれません。

2位 オーストラリア  以前も記事にしましたが、フジファブリックの根強いファンがおります。オーストラリアには英語研修目的の日本人留学生も多いですが、英語で書かれた記事へのアクセスが目立ちますので、日本人が読んでくださっているのではないでしょう。

3位 マレーシア  コンスタントなアクセスが特徴です。こちらも英語の記事へのアクセスが集中するので、マレーシアにいる日本人ではないと思われます。

4位 英国  画像検索でくる方が多いです。ロックの本場ということを考えれば、英国は、まだまだ開拓の余地ありです。がんばります!

5位 ロシア  このブログを始める迄知らなかったのですが、東欧からのアクセスは目を見張るものがあります。フジファブリックが、どうしてこんなに東欧で人気なのか知っている方がいたら、ぜひ教えて下さい。フジファブリックが東欧デビューしたという話もきかないのですが(それともしていたのでしょうか)、かなりのファンがいるもよう。
ウクライナ、ルーマニアからは、コンスタントにアクセス有り。
そしてなぜか、「線香花火」に人気が集中!線香花火という日本独特の花火の説明を、初期の段階で記事にしたのも、そんな理由からでした。
ウクライナとルーマニアのファンの方、いつも読んで下さってありがとうございます。とっても励みになっています。いろいろ教えて頂きたいので、ブログ内容向上のためにも、コメント下さるとありがたいです。

6位 カナダ  アメリカと似た背景が伺われます。こちらにも根強いファンがいるもよう。

7位 フランス  ヨーロッパには、アジア大好き人間が結構おります。そのような方の趣向に、フジファブリックの曲や歌詞は絶対に合う!と、常々思ってきました。このフランスからのアクセス数が、それを顕著に表しているのではないかと、私は個人的に思っております。英語の記事へのアクセスが多いので、在仏日本人ではないでしょう。志村君が以前、「フランスでフジファブリックの曲が流れたらいいな。」と言っていました。そんな象徴的な国のように思います。

8位 インドネシア  インドネシアでは近年、日本文化への関心も高いので、そのような背景があるかと思われます。ただ宗教上の観点から、飲酒が歌詞に書かれている曲などには、もしかしたら抵抗があるのかもしれません。

いかがでしたか。予想外でしたか?それとも予想通りでしたでしょうか。
どこかの国の街角で、フジファブリックの音楽がかかっていることを想像しただけで、胸がわくわくします。

これからもどんどん成長してビッグになって、世界へ羽ばたいていって下さい!
富士山の麓から、世界へ響け!フジファブリック‼

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志村正彦展まで、残すところあと8日となりました。
富士吉田には初めてという方も、多いと思います。わざわざ遠くからお越しの皆様には、富士吉田で良い思い出を沢山作っていって頂きたいと願っております。
寒さ対策、万全でいらして下さい。富士吉田の街、坂も多いですから車も人も、スリップ注意!
富士吉田の街全体が、志村正彦展の一部であることを感じでいただければ幸いです。


フジフジ富士Qでは、茜色の夕日だけに留まらず、三日月、星、富士山、虫の声に至るまで演出した志村君ですから、なんだか今回もやってくれそうな予感!?です。

今日の一曲は、「同じ月」です。世界中の人が、同じ月を見ているんですよね。
(久々にYou Tubeの映像を貼り付けられます!)


Wednesday 7 December 2011

今日は短い記事を一つ。

私の愛読書、「ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと」(スティーブ・ウォール+ ハービー・アーデン著 船木アデルみさ訳 築地書館)からの一節です。

何千年にも渡って受け継がれてきた先住民の叡智がおしえる薬草や儀式、踊りなどをもって、心や体の病を治すメディスン・マン(ウーマン)という人達が、アメリカンインディアンにはいます。
そのうちの一人、チャーリー・ナイト(ユート族)は楽器を奏で歌を歌い、こう言います。

「これであんたらはチャーリーという人間がわかったはずだ。わしの歌を知ったら、チャーリーを知ったことだ。みんな自分の歌を持っているんだ。神様は一人ひとりの人間に歌を授けてくれる。それによってみんな自分が誰であるかがわかるんだ。わしらの歌はわしらが誰であるかを教えてくれる。…(中省略)…どの歌を歌うかはわしの中にいる小さな人が教えてくれる。小さな人は神様のもとからやって来てチャーリーに歌を教えるんだ。歌を覚えるためにはその小さな人に耳を傾けなきゃいけないんだ。」

これはあくまでインディアンのメディスン・マンの話ですが、何となく志村君の作るフジファブリックの曲に同じものを感じるのは私だけでしょうか。
フジファブリックの曲を聴くと突如、独特の世界が広がり(いつもこのブログでいっている「フジファブリック・ワールド」のこと)、志村君を感じ、彼にしかできない曲がある。
病を治さないまでも、私達が苦しい時や悲しい時、嬉しい時にも心に寄り添ってくれるというファンはとても多いです。メディスン・マンの言葉を読んで、志村君が魂込めて書いていた曲の数々とちょっとダブりました。

今日の一曲は、「セレナーデ」です。一種独特の世界観で、イントロから一気にフジファブリック・ワールドに引き込まれます。これが「志村君」なのかなぁ…。
今日もまだ、You Tubeにリンク出来ませんが、ぜひお聴き下さい。

「志村正彦展」まで、あと15日。志村君がツアー・ファイナルにいつも言っていた言葉…「このツアーをしてくれたスタッフに拍手!来てくれたお客さんに拍手!そしてフジファブリックに拍手!」

私も真似をして…「企画スタッフの方々、ご苦労様です!全国から来て下さるファンの方々、ありがとう。そして…志村正彦くん、万歳!!」

Tuesday 6 December 2011

フジファブリックらしさ

2007年9月号のRockin' On JAPANを読んでいましたら、志村君が曲紹介より「フジファブリックとは、何だろう。」と語っている興味深い記事がありましたので、ご紹介致します。

2007年9月5日にリリースされた「パッション・フルーツ」に関するインタビューです。「Surfer King」と同様、「フェスやツアーで盛り上がる曲」を意識して書いた曲だそうですが、曲紹介の後、話はフジファブリックのオリジナリティーについて進んで行きます。

フジファブリックのオリジナリティー、アイデンティティー、いうなれば「フジファブリックらしさ」について。
インタビュアーさん(「FAB BOOK」の小松香里さん)がいう通り、確かにフジファブリックは年齢とか世代観などが全然結び付いていなくて、それがバンドの面白さになっていると思います。

クラシック、ジャズ、民謡、エスニック、70年代のUKロック、昭和の歌謡曲、ハードロック、古き良き日の少年合唱団、ゴスペルなど、フジファブリックの音楽には実に多くのエッセンスが入っていて、ざっと私に考えられるだけでもこれだけあります。
なぜこれほどいろいろな事に、挑戦するのか。

志村君は語ります。

「理想とするのは、もうイントロが始まっただけで『おお、フジファブリックだね。』みたいなもの。将来的にはそういうふうになりたいんです。普遍性のあるメロディーがちゃんとあるバンド。」
そこに行き着く為に、あえて音楽的チャレンジャーになり、いろいろなネタを試してみることにより、「一筋縄ではいかないバンド」を確立したいという思いがありました。

「どこにも属さない。」のではなく、「どこにも属せない。」。
フジファブリックは、決して型にハマらない。
「このバンドは、何をやるかわからないぞ。何かやってくれるぞ。」というのが魅力のバンドでありたいと、志村君は思っていました。

でもその立ち位置は、一見心地良い様に見えて、実はとても不安定であるともいえます。唯の「ゴチャゴチャバンド」になってしまう危険性もあるわけですが、志村君はそこを天性の才能と努力で、「フジファブリック」を見事に築き上げました。
彼自身「そこは不安なとこでもあるんですけど、ちゃんと追求していきたいと思う。」と言い続け、そのスタンスを崩すことなく、ずっとずっと最後まで貫き通しました。

5つのアルバムを見てみると、多くのことにチャレンジし、上手に「フジファブリック」色になっている。そして曲の奥底には「フジファブリック」独特の「何か」が、一本通っている。

簡単なように聞こえるけれど、それはそれは大変な苦労だったと思います。そしてその理想を現実にできた志村正彦君は、本当に立派でした。

「志村正彦展」では、きっとそんな彼の軌跡も見られるのかな、と思います。
残すところ、あと17日。
志村君が如何に頑張っていたのか、皆さんぜひ見に来て下さい。

今日の一曲は、「Taifu」です。
こんな曲を書ける人は、もう現われないと思います。
機械の事情で、You Tubeにリンクできませんが、ぜひお聴きになって「フジファブリックらしさ」を感じて見て下さい。