Friday 27 May 2011

パッション・フルーツ 

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泰国日本人会の5月号会報が先日届き、表紙は紫色の「時計草」(上記のお花)でした。太陽に向かって日時計のように咲く中央・南アメリカ原産の花で、熱帯の国タイでもよく見かけます。ツル科の植物ですので、駐車場のフェンスや庭の垣根として、植えるのがタイでは一般的です。「ちょっと派手なてっせん?」と、初めて見たときには思いましたが、熱帯地方独特の華やかさがあって、暑くけだるい空気の中によくとけこんで見えます。
一日花で夕方には散ってしまいますが、花の散った後に実る果実が皆さんご存知のパッション・フルーツです。
タイ語では「サワロット」といいます。

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熟したパッションフルーツは丸くて堅く、表皮は滑らかで濃紫色です。半分に切ってみると、黄色いゼリー状の果肉と果汁が出てきて、そこらじゅうに素敵な香りが漂います。黒く見えるのは、小さな固い種です。
タイでは、「精神や痛みを鎮める」果実といわれており、ジュースにして飲みます。更年期障害に苦しむご婦人や、ストレスを抱える人が飲むと効果があるといわれています。スーパーや市場でも普通に売られていて、値段もそれほど高くなかったと記憶しています。

味は、とにかく・・・すっぱい!目が覚めます。
しかし、その芳香たるや!!ちょっと言葉では言い表せない香りがします。香り付けに、他の果物と混ぜてフルーツジュースにすることもあります。

あまりの良い香りに「パッション」(情熱)の果実だから?!と思いがちですが、実は「キリストの受難」という意味があります。(以下Wikipediaより引用)
英名 passion flower は「キリストの受難の花」の意味で、イエズス会宣教師らによってラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。 16世紀、原産地(南アメリカ)に派遣された彼らは、この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。 彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、5枚の花弁は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、葉は槍であるなどと言われた。

山梨出身の私、ほとんど見たことがなかったのですが、今ではずいぶん日本でも流通しているようですね。日本でも南の地方出身の方には、なじみがあるのかもしれません。

今日はこの不思議な果実、パッション・フルーツつながりで、フジファブリック3rdアルバム「Teenager」の9曲目、「パッション・フルーツ」について見ていきます。

フジファブリックの9曲目のシングルとして、2007年9月5日にリリースされました。
志村君が「フジファブリックらしさの期待に応えた曲」と言っていたように(FAB BOOK)、果実同様、不思議ワールド炸裂のフジらしい曲です。

「パキスタンの歌謡曲みたいなふざけた曲だけど、いまどき80'sっぽい曲を出すって、フジファブリックっぽいんじゃないかっていう。フジファブリックっぽさを、追求している時期。」と「東京、音楽、ロックンロール」の中で言っています。

おどけた「Surfer King」と、心をしっとりと打つ「若者のすべて」の間にリリースされた「パッション・フルーツ」。このタイミングも絶妙だったと思います。「今これができるバンドもなかなかいない。」と志村君自身が言っていましたが、本当にそうだと思います。「国籍不明感」「謎の時代感」と志村君は表現していますが、それが見事に音楽の中で、そして素晴らしい感性溢れる歌詞の中で、見事に表現された曲だと思います。

そして何がこの「国籍不明感」と「謎の時代感」をだしているのでしょう。次回は、そこにスポットをあてて考えてみたいと思います。不思議なPVも関係している・・・?

今日の一曲、「パッション・フルーツ」です。曲のよさを考えれば考えるほど、「志村君のセンスがいいから!」という理由しか思い浮かばなくなってきました・・・。


Tuesday 24 May 2011

富士山駅 シンボルは大鳥居

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7月1日の富士山山開きに合わせて、地元の人や観光客に長年親しまれてきた富士急行線の「富士吉田駅」(同市上吉田)が、名称変更して「富士山駅」になります。

詳しくは、こちらの山梨日日新聞の記事をご覧ください。



古くからある富士信仰の面影が周辺に多数点在する「富士吉田駅」を、富士登山や周辺観光の拠点として観光客に印象付け、「富士山に一番近い鉄道」として知名度アップしたいという狙いがあるようです。
そして「富士山駅」のシンボルを、朱色に塗った大鳥居にすると発表しました。

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地元富士吉田の人達は、どのように感じているのでしょうか。

富士山は、富士山周辺の市町村にとってとても大きな存在です。財政難を解決する大切な収入源であり、国内外に知名度を上げる格好の「観光名所」であることも確かです。

昭和26年、南都留郡下吉田町・明見町・富士上吉田町の3町が合併して、富士吉田市が誕生。県内2番目、郡内最初の市でした。合併した町のひとつ「富士上吉田町」も、明治8年(1875年)上吉田村・松山村・新屋村が一緒になって福地村になり、その後昭和22年(1947年)、同村が町制施行により改称した町名でした。
私の知る限りでは、それ以前、富士吉田地域で「富士」の名が市町村名についているというのは、なかったのではないかと思います。

富士吉田市の歴史からみれば(富士吉田市大明見には「古屋敷遺跡」という縄文から平安時代にかけて作られたとみられる遺跡がある)、自分たちの住む地名に「富士」がつくようになったのも、ごく最近のことといえるかもしれません。

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しかし名称、知名度、観光収入源ということも大切ですが、富士山周辺に住む人達にとって、富士山が精神的にどれほど大きな存在であるかということを、思い出さねばいけないと思うのです。
今回の富士吉田駅の構想、1788年天命の頃より富士登山者を送り出してきた神聖な金鳥居の近くに、鳥居を建てるというのです。
もともと鳥居というものは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神の地への入口を示すものなのです。神域へ入る「門」なのです。そんな神聖なものを、一企業が建てていいのでしょうか。

聖なる山、富士山の名前を商業目的のために駅名に用い、長年地元の方々や富士講の信者たちに信仰されてきた神聖な金鳥居の近くに、イメージアップのために鳥居を建てるという発想。その人間の驕りが、私には信じられないのです。

フジファブリックファンの方たちは、志村正彦くんにとって富士山がどれほど精神的に大きな存在だったかご存知だと思います。志村君ほどの思いを皆がもっているわけではないですが、それでも富士山は大切な存在であり、日本が世界に誇る聖なる山なのです。

「富士山駅」誕生まで約1ヶ月と迫った今日この頃、福島第一原発事故などのニュースを新聞で見ながら、そんなことを思いました。

今日の一曲は、「笑ってサヨナラ」です。
志村君の知らない富士吉田が、また一つ増えていきます。

Monday 23 May 2011

甲州名物 おほうとう

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2010年9月、第5回B級グルメ日本一に、山梨県の「甲府鳥もつ煮」が輝いたのは、皆さんの記憶に新しいかと思います。
甲府ではおなじみの甘辛味鳥もつ煮ですが、郡内でもおなじみの味なのかどうかがわからないので、今日は山梨県全域で食べられている甲州名物「ほうとう」についてご紹介させていただきます。

山梨の郷土料理「ほうとう」。
2007年には、農林水産省により各地に伝わるふるさとの味の中から決める「農山漁村の郷土料理百選」の中の一つに選ばれています。


小麦粉を練り、ざっくりと切った太くて平たい麺を野菜と共に味噌仕立ての汁で煮込んだ料理です。地域によっては、小麦粉以外の穀物から作られたり、すいとん的な小塊も見られることから、必ずしもうどん状の長い形であるとは限らないそうですが、私はまだお目にかかったことがありません。
地元民にとってほうとう(地元ではなぜか尊敬・丁寧語の「お」をつけ「おほうとう」という。尊敬に値する食べ物だからでしょうか)は、基本的に外で食べるものではなく、「家庭で作って食べるもの」です。多くの場合、観光客向けのほうとうチェーン店に行っても、自分の家の味と違うので、「あまりおいしくなかったね。」と、帰ってくることの方が多いのです。

やはり、うちのおほうとうが一番!と、皆が思っているわけです。


富士北麓の郡内地方には、ほうとうと同一の粉食文化の起源を持つ郷土料理「吉田のうどん」があります。志村君の大好物で知られているため、フジファブリックファンにはほうとうよりおなじみですね。
こちらの「吉田のうどん」、家庭の味が味の基本となっているほうとうと違い、通常、家で作って食べるものではなく、自分の好みにあった「いきつけのお店」で食べることのほうが多いのも特徴です。

今日は私の祖父が、生前こよなく愛し、元気な頃は自分で麺まで打っていた(一昔前は、みんな自宅で麺を打ったそうです)我が家のほうとうのレシピを、ご紹介致します。肉や魚が入らないので、ベジタリアンにもお勧めです。

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  1. 大きめの鍋に水を入れ、だしを加える。
  2. 沸騰したら、里芋、大根、にんじん、かぼちゃなど火が通りづらい季節の野菜をいれる。
  3. 柔らかくなってきたら、ほうとうの麺をいれる。長ねぎ、白菜、きのこ類など火の通りやすい野菜と油揚げをいれる。
  4. 麺と野菜が柔らかくなったら、味噌をいれる。味噌汁より少々濃い目にいれること。

季節の野菜であれば、何を入れてもいいのですが、我が家のレシピの基本は上記の野菜です。とはいっても、ごぼうが入っているのはみたことがないですね・・・。やはり「暗黙のルール」があるのかもしれません。
このほか、ご家庭によっては、じゃがいもをいれることもあります。でもやはり、さつまいものが入っているのは見たことない・・・。

コツは、全部の具がくたくたに煮えてから、味噌をいれること。一旦味噌を入れてしまうと、その後いくら煮ていても、具が柔らかくなりません。その上、味噌の香りがとんでしまいます。そして味噌汁よりも汁の量は少なめです。
もうひとつ、注意すべき点は、家で打つ本格派でなくとも、市販の生麺を使うこと。乾麺は長期保存も可能ですし便利ですが、ほうとう独特のとろみがでません。

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ほうとうは、野菜類のビタミン類や繊維質に特に富み、小麦粉や芋類によるデンプン質、味噌によるタンパク質などバランスに優れた料理です。
私が小さい頃、甲府市立の小学校では、学校給食にほうとうが出ていました。

ただ・・・小さい頃から慣れ親しんでいる味なので、地元の私たちにはおいしくても、他の地方の方の口に合うかはちょっとわかりません。
以前、九州からのお客様に「貧しい土地の食べ物だよね。山梨は土地もやせているし、あまり食べるものがなかったからでしょう。」と指摘され、「ほうとうって、本当はそんなものかもしれないなぁ。」と思いました。

山梨県では、つい最近まで3世代が一緒に住む大所帯が当たり前でしたので、大鍋で作り、余ったほうとうは再び翌日の食卓にあがる事もしばしば。とろみが出て味も熟れてくるので、大のほうとう好きだった祖父は、この「沸かし返し」が作りたてより好きでした。

県内ですと、大抵のスーパーや道の駅、高速のサービスエーリアで、ほうとうの生麺が売っています。冷蔵不要の麺もあります。通販でも購入可能ですので、試してみたい方はぜひどうぞ。

懐かしい家庭の味、ほうとう。
いまだに山梨に里帰りすると、何パックもほうとうの生麺を買って帰ってきては、実家の味を思い出しながらこちらで作ります。
それでもなぜか山梨で食べるのとは違う味。
「水や野菜の味が違うからかな。」と、しばし考えます。

ほうとうが「おごちそう」になるのには、「おいしい、おいしい。」と笑顔で話をしながら食べるおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そして子供たちが必要なのかもしれません。

ご実家が八百屋さんを営んでいた志村君(山梨日日新聞 2010年6月 記事)。
きっと、新鮮な野菜をたっぷり使ったお母さんの手作りほうとうを、ご家族皆で食べていたんでしょうね。

Sunday 22 May 2011

'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' and the lyrics (Translation of the post on 18th May 2011)

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Continued from the last post on 'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' ('When a starry night comes') from Fujifabric's 3rd album, 'Teenager'.

My first impression of this song was "the 'light'cheerful lyrics and the music", "not like Fujifabric much?".  The similar impression to a soap opera on TV in 80's to 90's, called "trendy drama" in Japanese language, which is full of artificial lightness and cheerfulness.
The quality of such characters differ from 'Pedal' or 'Teenager'.

Probably what Kanazawa kun aimed at successfully hit the target, which was 'healthy light pop music', but anyway, the first impression I had was "not like Fujifabric much".

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What made me feel that way?
I have analyzed the cause of my feeling to write this post, and I think I have found one.

That is 'cool' English words in the lyrics.

'Nishi kara Higashi heto   Kumo ga drive shite'   ('From west to east   Clouds drift away')

'Damatte miteiru    Ochiteku souvenir'   ( 'Watching quietly   the falling souvenir')

When the lyrics is translated into English, it is quite difficult to see which part was English words!

For example, the first phrase could have been said, 'Nishi kara Higashi heto   Kumo ga nagarete' in Japanese, but the word, 'drive' (literally means 'drifting' in English) was intended to be used here preferably.

In the 2nd phrase, the English word, 'souvenir' comes.
This word is not a common word in Japanese language even considering there are many words of foreign origin in Japanese, especially loan words from Dutch, Portuguese and English.
Shimura kun had his own philosophy that Japanese is the best language to use in the lyrics to make Japanese listeners understand the message put in the song. Using 'cool' foreign words might trigger to attract young people, but that's it. At the end, nothing remains in our heart as the words cannot hit our heart deeply.

However in this song 'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara', against Shimura kun's belief, quite a few English words were in the lyrics without much meaning, and this is one of the reasons why I feel "this is not like Fujifabric's style."

On the other hand, there are his original fabulous expressions, too.

For instance,
"Passing through    many skies
I will leave the town without looking back"

This expression is quite unique and original in Japanese, I think, but if written in English, it sounds too common.  This is another challenge for me how to express a beautiful phrase in Japanese when translated in English...   I will discuss this with my partner, and I will do my best to achieve my goal!

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The sound of thunder is impressive in Fujifabric's lyrics.
Thunder reminds us summer as in East area of Japan, thunder rumbles when we have a shower in summer unlike on the side of Japan Sea, it rumbles just before a heavy snow.

A shower comes in mid summer with rumbling thunder. Then it's over and in the blue sky, clouds drift away in a fresh wind and in the soft sun, everything dries up.  In a while, the sun sets and many starts start sparkling in the sky. 'I' am leaving the town to meet pick up someone or something with a positive emotion.

Please excuse my poor expression on the music as it is not my special field, but the piano sound of synthesizer, a bass guitarand the chorus.

Let me introduce this song in the special version performed in the Rock festival on 29th and 30th December 2009, only 5 days after Shimura kun's tragic death.  So many Fujifabric fans and rock music fans gathered and watched the stage with no one on.
I cannot find a right word to express my feeling to see Shimura kun's hat on his quiet guitar on the stand.

Please enjoy listening to special "Hoshi Furu Yoru Ni Nattara".

Wednesday 18 May 2011

星降る夜になったら 歌詞

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前回に引き続き、3rdアルバム「Teenager」より「星降る夜になったら」です。
今日は歌詞を詳しく見ていきたいと、思います。

初めてこの曲を聴いたときの率直な私の感想は、「歌詞も音楽も全体的に軽い、明るい」「フジファブリックらしからぬ曲」でした。まるで80年代、90年代の「爽やかトレンディードラマ」と共通するような感じ、とでもいいましょうか。
人工的な軽さと明るさ。
例えば「ペダル」や「Teenager」のもつ明るさなどとは、全然別物の明るさです。

この印象をもったということは、金澤君の狙った「明るく健全なポップス」が、見事狙い通りに成功したことの証なのかもしれません。
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「いつものフジファブリックらしくない曲だな。」というのが、第一印象でした。

何がそう感じさせたのか。
この記事を書くにあたって自己分析?してみた結果、なんとなく原因が分かったような気がしますので、記しておきます。
これはあくまでも個人的な意見ですので、あしからず。



それは、「歌詞にでてくる英単語」です。

「雲がドライブして」
「黙って見ている 落ちてくスーベニア」

日本人の日常生活であまりなじみのない英単語や表現も、使われていますよね。

例えば「スーベニア」。
英語の「souvenir」が元かと推測されますが、学生時代、「お土産、記念品」と先生に教わりました。
しかし、元々ラテン語の「心に浮かぶ、思い出す」を意味する言葉から派生している英単語で、直訳すると「旅行・場所・出来事などを思い出させるもの」となります。
旅に関していえば、思い出を心に留めておくため、主に自分のために買い求める記念品として購入したものが「souvenir」です。

一方、日本語の「お土産」は少しニュアンスが違います。
「旅先で求め帰り人に贈る、その土地の産物」「人の家を訪問する時に持っていく贈り物」(「広辞苑」より)が「お土産」で主に他者のために購入するものです。
さかのぼってみてみると、江戸幕府が行った特産品の奨励、また江戸後期にお伊勢参りや富士詣などの旅ブームにより、各地方ならでは特産品を旅人が買って帰る「お土産」文化が生まれました。日本独特の「村社会意識」の影響も大きく、平等を重要視するため、味が平均的で誰の口にも合い、大きさも形もそろった「??饅頭」のような土産物が好まれるという世界でも珍しい文化が発展しました。

クリックすると新しいウィンドウで開きます(これは山梨のお土産「信玄餅」)

このような背景を考えると、英語の「souvenir」は、「旅先から買って帰ってきたgiftやpresent」に近いものです。

閑話休題。
フジファブリックの「星降る夜になったら」の中の「スーベニア」です。
カタカナ表記になってはいますが、あまり日本人の日常会話に登場する単語ではない上、ニュアンス的にも、英語の「souvenir」の方が「お土産」より歌詞に溶け込むような気がするのは、私だけでしょうか。
フジファブリックにしては、異例のカタカナ英語です。

志村君が曲作りで大切にしていた信条は、「日本人には日本語が一番伝わるはずだから、思いを伝えたるために、歌詞ではあまり英単語を使わない。」でした。日本語でいえるところをなんとなく格好いいから英単語で書くのは嫌だと、数々のインタビューで言っていました。

その信条の元、人の心をストレートに打つ曲が多数生まれたわけですが、この曲だけはスーベニアの他にもカッコイイ英単語がちりばめられていて、それがいつもとちょっと違う雰囲気を感じさせるのかな、と思いました。

でも、志村君の書く素晴らしい音楽と歌詞であることは間違いありません。

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「いくつもの空 くぐって 
振り向かずに街を出るよ」

この表現、なかなか凡人には思いつきませんが、言われるとはっとして心を捉えるすばらしいフレーズだと思います。

そしてまた(「Anthem」などにもでてきますね)、「雷鳴」がでてきます。
フジファブリックの曲に登場する雷や雷鳴は、とても新鮮で印象的です。
日本海側の気候と違い、冬に雪が降る前に雷が鳴るというようなことは山梨ではなく、やはり「雷」といえば「夏」のイメージが強いです。

真夏に雷鳴を伴う激しい通り雨が降り、その後、雨が上がり風に雲が流れ、柔らかな日がさしてくる。
そうこうしているうちに、雨が降った後の澄んだ空気の中、降るような星が空に輝く。
ポジティブな思いで誰かを、それとも何かを迎えに行くために、街を出て行く。

音楽の専門家ではないので、詳しい説明はできませんが、ピアノ音のキーボードと、サビにいく前になんともいえない間をとるベース、そして、サビで響くコーラス。

こんなに素晴らしい曲ですが、悲しい思い出がつきまとう曲にもなってしまいました。
志村君が亡くなった2009年12月24日から6日後の12月29日、30日に行われたフジファブリックが出演を予定していたロック・フェス。誰もいないステージでこの「星降る夜になったら」が流れました。

急遽出演がキャンセルになった2009年12月29・30日のフェスティバルの会場には、俄かに信じがたいその事実を確かめるように多くのフジファブリックファン・ロックファンが集い、当日演奏する予定だったセットリストそのままのライブ映像をみながら、誰もいないステージを大いに盛り上げた。(フジテレビニュースより フジファブリック・クロニクル

 あまりお勧めしたい映像ではないのですが、海外のファンにどれほど志村君が日本のファンに愛されているかを見ていただきたいので、あえて紹介させていただきます。
誰もいないステージ、ギターにおかれた帽子。
この気持ちを伝える上手な言葉は、見つかりません。

お聴きください。
「星降る夜になったら」


Tuesday 17 May 2011

'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' (Translation of the post on 16th May 2011)

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There was a slight problem with Blogger last week, and for several days, I could not write posts in my blog.  Sorry not to update my blog so long, but please do come to visit here!
I will do my best to keep you informed all about Fujifabric!!

Let's take a look at 'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' ('When a starry night comes'), the 12th song in their 3rd album, 'Teenager".

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This is the only song of Fujifabric in which Kanazawa kun, the keyboardist of the band, was involved in writing the music.  According to FAB BOOK (The first book on Fujifabric. See details in FAB BOOK), Kanazawa kun brought a melody of all the parts including the main ones, but each melodic line sounds so "dramatic" (according to Shimura kun) that the main melody does not come to conspicuous (does not stand out) against the rest.  So, after the discussion between Shimura kun and Kanazawa kun, Shimura made and added the melody matching the main ones written by Kanazawa originally.
'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' is widely recognized as a song written by Kanazawa, but in fact, the work was accomplished by collaboration of Kanazawa and Shimura kun as clearly stated in an attached booklet of 'Teenager'.



クリックすると新しいウィンドウで開きますIn the 15th volume of Aka-Fuji Tsushin (little leaflet handed out free to purchasers when bought Fujifabric's new single CD or album), Shimura kun and Kanazawa  kun discussed about this song cheerfully.
(Please find this site for details. All written in Japanese language, but there are many photos that you can enjoy. Toshiba EMI : Aka-Fuji Tsushin by Fujifabric)
In the interview, Kanazawa  kun said that he made this melody a long time ago.He was, at that time, eager to make something different to the gloomy dismal songs which the other members of the band brought into the meeting for an auditory presentation - he wanted something like "healthy and cheerful pops".

The big difference between the 3rd album, 'Teenager', and the 1st, 2nd and 4th albums is that there are a relatively great number of songs in 'Teenager' that the other members wrote. (5 songs out of 13)

The music of 'Kinen Shashin' ('A Souvenir Photo'), 'B.O.I.P', and 'Mabataki' ('Blink') were written by Yamauchi Soichiro, the guitarist of the band, and 'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' was composed by collaboration of Kanazawa and Shimura kun. 'Chocolate Panic' was written by Shimura kun and an American musician, Roger Joseph Manning Jr.
Considering almost all the Fujifabric's songs are written by Shimura kun (the 5th album is not counted here as Shimura kun was not involved in the process of making this album as he had already passed away at that time), the band was making a new attempt in the 3rd album as usual.

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Yamauchi kun said in the interview on the 15th volume of Aka-Fuji Tsushin, "The members could communicate each other well this time about the lyrics and songs. Shimura kun nicely took the other members opinions, like 'this song was made when feeling such and such.' or 'I want this song to be in this way.', and so on. The process of putting things into a real form was very smooth, and that was nice.".

Shimura kun also said, "Discussion on music, understanding and communication between members were perfect. We could work cooperatively to make the music.".

It is noteworthy that even in 'Teenager' putting an emphasis on cooperation, the lyrics were written all by Shimura kun. There is no particular reason stated in any of the interviews which I have in front of me right now, but it is true that the lyrics Shimura wrote were considered to be worth publishing as a book.

'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara' is one of those cooperative songs in 'Teenager'.

After this album released, Shimura kun suffered from a mental and emotional conflict on cooperative work on his music.

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He confessed in the interview in 'CD&DL Data' (February 2009), "'Teenager' was a democratic album. To make it possible for everyone (in this sense, he means all the members) to enjoy, everyone pursued what he wanted, and everyone's opinions were taken into account. That is wonderful, but by caring what the others wanted to do, I lost myself, what I wanted to do. I felt like I am in a position of a middle manager."
"It is surely a matter of course to make everyone happy or absorb everyone's opinions, but I lost what 'I' wanted to do."
"I started to think 'allow me to make my music next time'."

Difficulty must be beyond our imagination for a band coming together to make a music, as each one of us has a different taste and sense to music, just exactly like each one of has a different face and figure. Negotiation becomes a key.

Then, the 4th album, 'Chronicle' was born. The music and the lyrics, even arrangement were done by Shimura kun, and sadly, it became his last work.

Let's have a close look at the lyrics and music in the next post.
Today's song is 'Hoshi Furu Yoru Ni Nattara'

Monday 16 May 2011

星降る夜になったら 

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私事で恐縮なのですが、先週からこのブログを管理しているBloggerというサイトで、なんらかのトラブルが発生し、何日もの間、記事を見ることも書くこともできなくなった挙句、その合間をぬってやっと書いた「星降る夜になったら」の記事も、何時間かアップされた後、勝手に消えてしまうという事態。
こんなことがあるのですね!
まあ、所詮機械のすることですから、しょうがありません。

今日は、2011年5月10日にたった数時間だけアップされた記事を、もう一度記事に致します。(たまたま英訳のために、印刷してあったので助かりました。)もし、すでにご覧になった方いらっしゃいましたら、もう一度お付き合いください。
すぐに英訳もアップします。

バックアップのために、今までの記事を全部、ワードにコピペして保存しておいたほうがいいのでしょうか・・・。任務遂行のためにも、コンピューターの勉強必須!です。
ブログをなさっている方、どうぞよろしくご指導お願い致します。

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前回から引き続き3rd アルバム、「Teenager」から。
12曲目「星降る夜になったら」です。

この曲は、公表されているフジファブリックの曲の中で、キーボード金澤ダイスケさんが作曲に携わった唯一の曲です。
FAB BOOKの情報によると、金澤君が初めに持ってきた曲には、Aメロ、Bメロ、サビと全部揃っていたのですが、そのひとつひとつのメロディーがドラマチックで(志村君の表現)、結果サビが引き立たないという問題あり。そこで、金澤君の作ってきたサビに合わせて、志村君がAメロ、Bメロを変えて、できあがった曲です。ファンの間でも、「星降る夜になったら」は金澤君作曲と思っている方が多いのですが、正しくは、アルバムの歌詞カードにも明記されているように、志村君と金澤君の共同?作曲です。



クリックすると新しいウィンドウで開きます赤富士通信(フジファブリックがシングルやアルバムをリリースするのに合わせて作成され、購入者に配られたフリーペーパー)15号でも、二人のおもしろいやりとりがみられます(お手元にない方は、こちらでご覧になってください。東芝EMI フジファブリック 赤富士通信
だいぶ前に作った曲だと金澤君は言っておりますが、当時、デモが暗い曲の多い時期だったので、少々違う雰囲気の曲がしたかったそうです。そして生まれた、「明るく健全なポップス」(金澤君談)。

この3rdアルバム「Teenager」と、1st、2nd、4thアルバムとの大きな違いは、他のメンバーが作曲に携わった曲が数多く(といっても13曲中5曲ですが)収録されているという点です。

「記念写真」「B.O.I.P」「まばたき」は山内総一郎君が作曲をしましたし、前述の通り「星降る夜になったら」は金澤君と志村君の共同作曲。「Chocolate Panic」も、Roger Joseph Manning Jr.(アメリカ・ロサンゼルス在住のシンガーソングライター、キーボード奏者)が志村君と一緒に作曲しました。
その他のアルバムでは(5thアルバムはやむを得ない事情があったので、あえて含みません)、楽曲のほとんどが志村君による作詞作曲ですから、このアルバムでもやはりフジファブリックが「新しいこと」にチャレンジした、というのが伝わってきます。

山内君は、赤富士通信15号の中で、「歌詞や曲について、メンバー同士で伝え合うことが上手にできるようになってきた。こういう心境で作った曲で、こういう歌にしたいというのを、志村君が受け止めてくれて、ちゃんとした形になっていく過程がスムーズでよかった。」という趣旨のことを言っています。
志村君自身も、「音楽的なやりとりや、意思の疎通が完璧だった。皆といい共作ができた。」と、言っています。

ただ、これだけ「共同作業」を軸にしたアルバムでさえ、作詞は全て志村君がしています。メンバー全員が志村君の歌詞を書く才能に敬服していたのか、本人がそれはどうしても人に譲りたくなかったのか。どういう理由かはわかりませんが、「志村正彦全詩集」が出版されるほどのすばらしい歌詞だったことは間違いありません。

そのように考えると、この「星降る夜になったら」は、アルバムで意識した「共同作業」が典型的な形で表された曲といえると思います。

しかし、このアルバムを経て、志村君は大きな葛藤を抱えることになります。

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「CD&DLでーた」2009年2月のインタビューで、「Teenagerは民主主義なアルバム。皆で楽しめるように、皆がやりたいことを追求した内容で、皆の意見が入っている。それはそれで素晴らしいことなんだけども、人のことばっかり気にしてたら自分を見失っちゃって。なんか中間管理職みたいなところにいて。」
「皆を楽しくさせたり、皆の意見を吸収するのはバンドとしては、もちろん当たり前のことなんだけど、自分は何をしたいんだろうというのを見失った。」
「次は俺一人に作らせて、と思い出した。」

一人ひとり姿かたちや性格が違うように、音楽に対する感性だって一人ひとり違うはずですから、バンドとして複数の人間が一緒に一つのものを作り上げるというのは、私達素人が思う以上に大変な作業であることは違いありません。

そして、志村正彦くんが全曲作詞作曲、アレンジのほとんどを手がけた4thアルバム「Chronicle」が誕生します。

次回は曲と歌詞を詳しくみていきたいと思います。

今日の一曲、「星降る夜になったら」

Tuesday 10 May 2011

'Pedal' and the lyrics (The translation of the post on the 6th May 2011)

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Continued from the last post on 'Pedal', the first song of the 3rd album, 'Teenager'.

Even though I am aware of the fact that each Fujifabric fan has his/her special loved part of the song, please allow me to introduce my favourite parts - 'the sound of many instruments coming  into the music one after another to give impact and dynamism', 'beautiful chorus', 'a vivid description of the scene and emotion based on Shimura's delicate sensitivity in the lyrics'.

Let's take a look at the beginning part of the song.

The sound of several musical instruments (key boards, acoustic guitar) come together after one another forming an unpredictable feeling and excitement to the listeners.  If being categorized, the music belongs to rock for sure, but the song is beyond such an accomplished fact and it even makes us feel our soul is cleansed after listening to 'Pedal'.  I personally feel that I take off from the ground and fly away to the sky when listening to the music with my eyes closed.

Then, Shimura kun starts singing in his calm voice.

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Let's move on to the lyrics of the song.
Flowers often play an important role in Fujifabric's songs, and so as in 'Pedal'.  Orange and pinky flowers are the first characters in the song.

'It can't be helped to feel dazzled when watching orange and pink flowers in bloom, can it?'

The expression on flowers in the lyrics of some songs, such as 'Pedal' and 'Naimono Nedari' (in 'Chronicle') makes me feel that Shimura fully understands and highly evaluates the virtue of 'ungreat' flowers in the garden and streets.  Probably some people say that is "vitality of wild flowers", "careless grace","the botany of flowers and trees which cannot move where you are once you settle down", "the attitude? of plants which accept their destiny calmly and try to live strongly spreading its roots", and so on.
But Shimura sums up a charm of flowers in only one sentence - "It can't be helped to feel dazzled when watching orange and pink flowers in bloom, can it?".

Not until here that the bass drums join the music adding the depth to the song.

Many different sounds (key boards, electrical guitar, cymbals, etc) come together gradually, and keeps going till the climax.
A charm of Fujifabric cannot be explained without key boards, and 'Pedal' consists of so many different sounds of key boards, too.  Please try to listen to this song once with earphones on with your eyes closed at a quiet place.  You can 'feel' how well-composed the song is listening to the diversity of key boards' sound.

"Chorus" is another standpoint which adds depth to the music of Fujifabric.

As Shimura was a member of a chorus group in his junior high school when he was a student in Fujiyoshida City (the song called "Daichi Sansho" that Shimura sung with his friends was on before the stage screen was risen in the concert in his hometown in May 2008 and also in Fuji Fuji Fuji Q), he seems to have paid an extra attention to the sound of chorus in his music - the layers of delicate human voices and applied to not religious music but to rock music.



In the interview of "Ongaku To Kotoba" (literally meaning, "Music and Words" published on 25th March 2009), Shimura said, "Music is mathematical by all means, like how to put up cords and scales. But not the lyrics. We cannot guess when a person busts in tears.", when an interviewer made a comment on 'Pedal' that the lyrics is very interesting as two different elements - fundamental literary one and scientific one of exercising mental images in a numerable sense - exist together.
(the part of the lyrics being pointed out is
"a straight line of vapour trail high up in the sky      comes vertical to the direction where I am heading to
the line gets blurred gradually     now forming a curve"

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In a way, a chorus is put in the music following a mathematical method, but because it is by human voices, it also expresses something 'calculations' cannot explain, I think.

Just for a little knowledge, please let me explain how bicycles are used as a way of transportation in Japan.
Japanese is one of the world top countries in the number of bicycles in use.  There are 84,810,000 bicycles registered in Japan (in 2000), which means 1 bicycle/1.5 person.  Japan is on a same level as Holland, Denmark, Germany, Norway, Sweden, and much more than USA, China, UK, France and Italy.
In the West, bicycles are thought to be a kind of vehicles like a car and a bus, but in Japan, it is in general considered to be something on the same level as pedestrians.

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Therefore, many junior high and high school students in countryside use bicycles to go to school and we often use them to go somewhere in a short distance.
The 'normal' bicycles in town are not sporty ones leaning forward, but the ones you sit comfortably with a basket in front.  Shimura kun has never mentioned what kind of bicycle he meant in the lyrics, but it could be one of those.

Enjoy listening to 'Pedal'!


Friday 6 May 2011

ペダルとその歌詞

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前回から引き続いて、「ペダル」です。

ファンがひとりひとり、それぞれの思いで聴いて好きなポイントも人それぞれだと思いますが、私は個人的にこの曲の魅力は「次々に重なり合っていく楽器の音色」「コーラス」「繊細な風景・心理描写」だと思います。

まず曲の出だし。
「何かとてつもない曲が始まるんじゃないか」とリスナーに期待させるような、底知れぬワクワク感を、順々と重なり合って行く楽器で見事に表現しています。ジャンルとしてはロックですが、既成のロック概念を超え、魂にたまった汚いものをきれいに洗い流してくれるような気持ちになる曲はこんな風に始まります。

そして志村君のなんともいえない落ち着いた声で、歌詞が歌われていきます。

フジファブリックの歌詞にはよく「花」が登場するのですが、この曲にもだいだい色、ピンク色の花がでてきます。この咲いている花を見て「まぶしい」と感じ、そう自分が感じる感覚はやむをえないものなのかなぁ、と問いかけます。



「ペダル」の花にしても、「ないものねだり」にでてくる「帰り道に見つけた 路地裏で咲いていた」花にしても、庭先や道端で咲く「さもない」と一般的には思われている花が持つ魅力を、理解し愛でていたんだなと思います。
クリックすると新しいウィンドウで開きますそれは花のもつ「生命力」であったり、「飾らない美しさ」であったり、「根をはったら、そこから動けない植物の生態」であったり、「逃げることのできない運命を、淡々と受け入れ、そこに根をはり生きている姿」だったり、ひとそれぞれ考えることが違うわけですが、そこを「まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?」としたところに、フジファブリックらしさがでていると思います。
売るために大事に栽培され、切られてお花屋さんに並ぶ花にはない魅力を、たった2行でよく表現しているなと、思います。

このあと、バスドラムが初めて出てきます。

そして、「平凡な日々にも~」から一番目の「消えないでよ 消えないでよ」まで、いろいろな音色の楽器が次々と演奏に加わり美しく重なりあっていき、曲はクライマックス?に淡々と向かって行きます。フジファブリックの魅力はキーボードなしには語れませんが、「ペダル」の中でも実にさまざまなキーボードの音が聴こえます。何かをしながらのBGMとしてだけではなく、ぜひイヤーフォンで静かな場所で聴いてみて下さい。キーボードの音色の多様さだけではなく、曲の深みを構成する音色の重なり合い方に、志村君の努力と信念を感じました。

フジファブリックの曲に深みを加える「コーラス」も、忘れてはならないポイントです。

志村君が下吉田中学校時代に歌った合唱曲、「大地讃頌」を富士五湖文化センターやフジフジ富士Qで耳にした方も多いと思いますが、学生時代から慣れ親しんできた合唱という「微妙に違う人の声が何重にも重なり合って出す音」にバンドマンとして注目していたというのは、数々の曲を聴いて率直に感じます。

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「音楽とことば」(2009年3月25日発行)の中で、インタビュアーに「上空に線を描いた飛行機雲が 僕が向かう方向と垂直になった だんだんと線がかすんで曲線になった」という歌詞が、根っこにある文学的な要素と、心象風景を数値的に切り取る理系的要素が共存しているのが面白い」と指摘され、「音楽は、どうしても数学的だ。コードの積みかたとか、音階のスケールとか。でも、歌詞というのはそうじゃない。人が涙する瞬間って、わかんないんです。」と志村君は言っていました。

そういう意味では、コーラスは数学的に計算されて曲の中に組み込まれていますが、数値では言い表せないものを伝える歌詞のような役目もしているのかな、とも思いました。



歌詞については、外国のファンに自転車がいかに日本人にとって身近な乗り物であるかを補足説明いたします。

日本の自転車普及率は世界的に見ても非常に高く、保有台数は8,481万台(2000年)で、人口1.5人あたり1台にのぼります(Wikipedia参照)。
クリックすると新しいウィンドウで開きますこれは国際的に比較しても西欧で特に自転車利用が多いオランダ、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、スウェーデンに次ぐ水準です。アメリカ、中国、イギリス、フランス、イタリアといった国々を大幅に上回ります。西欧諸国が自動車やバスと同等の「車両」と言う認識であるのに対し、日本においては歩道を走行し限られた短距離の移動に利用する「歩行者の延長線上」という認識が一般にはなされています。
ですから日本では、中高生(大都市ではないところ)は通学に自転車を使うことがとても多く、身近な乗り物なのです。

そんな事情もあり、日本で一般的に使われている自転車は、欧米の街で見かけるマウンテンバイクのような前かがみで乗るようなタイプではなく、俗称「ママチャリ」といわれるもので、前には籠がつき後ろには荷台があるタイプのものです。「ペダル」で歌われている自転車がどのようなタイプのものかは定かではありませんが、皆さんどんなものを想像していらっしゃるのか興味があります。

では、「ペダル」お聴きください。

Thursday 5 May 2011

ふじ桜

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今日はちょっとした季節の話題です。

例年より少し遅い桜でしたが、急激に暖かくなったためか山梨でも平地では、ほとんど葉桜となってしまいました。
といっても、それはソメイヨシノ。
ふじ桜は見頃を迎えています。

ふじ桜は、山梨県の県花であり(昭和29年制定)、富士吉田市の市花でもあります。

「富士山の見える場所にしか咲かない」といわれるふじ桜は、4月から5月にかけて、富士の裾野を彩ります。ソメイヨシノと比べて木はあまり大きくならず、花びらも小型で下むき加減に開きます。
きびしい富士の風雪に耐えて、つつましやかに咲く花は、「和と忍耐」を表しているそうです。

ソメイヨシノが木蓮だと、ふじ桜はコブシの花、という感じでしょうか(ちょっとわかりにくいですね・・・)。野の花のような、素朴な美しさがあります。

富士吉田市の中ノ茶屋(富士山の吉田口登山道沿いにある。標高1,100m。)は、富士山麓にある最大の群生地です。(富士吉田市 観光情報をご参考ください。)
5月4日現在満開だそうですので、ゴールデンウィークの最終日の今日、志村君の足跡をたどる小旅行を考えいていらっしゃるフジファブリックファンの方は、こちらまで足をのばしてみてはいかがですか。

中ノ茶屋の歴史は古く、創業は江戸時代の1706年。
富士登山者が一休みして、これからの大変な登山に備えるという憩いの場です。
平地とは違った空気の中で、可憐に咲くふじ桜をぜひ見てみて下さい。

今日の一曲。「ないものねだり」です。

次回は「ペダル」の続きです。