Monday 31 January 2011

スパイダーとバレリーナ 歌詞カードと日本人

クリックすると新しいウィンドウで開きます

前回に引き続き「パッション・フルーツ」のB面、「スパイダーとバレリーナ」。
今日は歌詞をじっくりみてみたいと思います。

・・・とはいったものの、「Day Dripper」と同様フジファブリック・ワールド炸裂のこの曲も、特に日本の文化的背景の説明も必要なく、ファンひとりひとりの聴き方で聴くのが一番なので野暮な歌詞解説は不要です。
西洋のファンが日本語の歌詞を理解しながらこの曲を聴いたとき、私たちと同じような印象を受けるのかちょっと興味がわくところですが、なんとなく西洋の香りがするのはなぜなのでしょうか。



クリックすると新しいウィンドウで開きますまずフジファブリックには珍しく英語で、それも英文で曲が始まります。
でもそこは志村君、意図的に(?)カタカナ表記の英語になっております。個人的にはこのカタカナ表記の効果は絶大だと思っていまして、この2文があえて日本語表記になっているために曲全体が擬似西洋、完全に西洋になりきろうとしているのではなく、西洋的な空間を作りその空想西洋世界の中で曲を進行していくために設定する効果があるのでは、と感じています。

その後に続く「地図」も、「バレリーナ」も「曲がりくねった迷路」も「スパイダー」も、とっても西洋的ですよね。でも西洋そのものではない、ちょっと物語の中の一こまのような印象はこの擬似西洋世界の効果ではないでしょうか。

前回の記事にも書きましたように、「スパイダー」や「バレリーナ」という西洋の要素が強い登場人物が、よりこの曲を色鮮やかにしていますよね。

そして、「準備はオーケー こちらもオーケー いつでも行くから」の後に続くキーボード・ベース・ギターの奏でるあのクリシェ・ラインには本当に心が震えます!!
もう、やっぱり天才!!!
この曲の作曲は山内総一郎くんですが、あの美しいクリシェはフジファブリックが創造性と技術だけではなく、抜群の音楽センスがある証拠だと思います。
ところでクリシェ(Cliche) とは、作曲・編曲技法のひとつで、同じコードが長く続いているときに単調なコード進行パターンを避けるため基本のコードは変えずに、半音階や全音階の装飾的・慣用的なメロディーラインを創る(クリシェ・ラインといいます)手法のことをいいます。
メロディッククリシェ(単音を変化させていくクリシェ)とハーモニッククリシェ(二音以上を変化させていく)、ベースラインクリシェ(ベースにおかれる場合)など種類はありますが、フジファブリックのこのクリシェのセンス、大好きです。

あのクリシェ・ラインがあるからこそ、「くすぐったい ってな感じでアハハ」で始まるメロディーが明るく軽やかで・・・もう、最高です!




クリックすると新しいウィンドウで開きます2月22日、志村君の大好きな「猫」の日に、「志村正彦全詩集」が発売されます。
外国人のファンは「なんのこと?」と思っているかもしれませんが、これは今までフジファブリックが発表した音源の歌詞を詩集として一冊の本にまとめたものです。

日本ではCDに必ず「歌詞カード」というCDと同じサイズの小冊子がついています。輸入版CDを購入した経験がある方はご存知かもしれませんが、イギリス、アメリカ、そしてここタイでも全部のCDに歌詞カードがついているわけではありません。歌詞にそれほど細かいこだわりがないのかもしれませんが、耳で聴き取れなければそのままにしておいたり、よっぽど知りたければインターネットで調べたりして、それでおわりです。
アメリカのバンド、「Green Day」なんかは、ファンが歌詞を聞き取って投稿する「ファンの作る歌詞のサイト」が存在したりして、そこまでの手間をかけるんだったら歌詞カードをつければいいのに、と思ったりしますが。

日本の歌詞カードには、各曲の歌詞が作詞者の書いた通りに書いてあり、日本人はそれを読んで歌詞自体を詩として深く味わったり、ちょっと聞き取れない箇所なんかを確認したり、一人カラオケをしたり、といろいろに楽しみます。

そんな日本でも、歌詞を詩集として一冊の本にして売り出すというのは、なかなかあることではありません。それだけフジファブリック・志村正彦くんの書く歌詞は(「会いに」以外の曲はすべて志村正彦くんの作詞です)、文学的要素の強いものだと思います。

「スパイダーとバレリーナ」、まず歌詞を見てから曲を聴いたらまた違って聴こえたかな。外国人のファンの皆さん、歌詞の英訳が全曲終わったら「英語版 志村正彦全詩集」として、歌詞のPAGEだけ見てみるのも、また趣が違う楽しみ方ができると思います。

今日の一曲は、もちろんこちら。


Thursday 27 January 2011

スパイダーとバレリーナ 

今日はまたまたB面、「スパイダーとバレリーナ」についてです。

無意味に外国語をあまり使いたがらない志村君にしては珍しく、「蜘蛛」をあえて「スパイダー」としてタイトルに使った珍しい曲です。
クリックすると新しいウィンドウで開きます曲名だけではなく、シングルのジャケットもイギリスの人形劇「パンチ・アンド・ジュディ」を思い起こさせる人形劇風になっています。
でもそこはフジファブリック。
バレリーナもスパイダーもひとひねり入った風貌となっております。バレリーナもスパイダーも宇宙空間にいるような・・・。不思議な雰囲気を醸し出しています。
おまけにA面「パッション・フルーツ」に関するデザインではないんですよね。
こんなところもフジファブリック感炸裂です。


クモについて考えてみましょう。

英語のSpiderは「闘う人、闘士」という意味の語源を持つ言葉で、クモが虫を捕食する様子が闘士を連想させたようです。
アメリカの漫画にも「スパイダーマン」というヒーローがいますが、いつもはじっとしているクモが獲物をすばやく捕獲し激しくむさぼり喰う様が、いつもはおとなしい主人公が突如として俊敏なヒーローになるというイメージと重なる、ということらしいですが、なかなか日本人には理解しずらいかもしれません。



クリックすると新しいウィンドウで開きますイギリスに古くから伝わるNursery Rhyme (アメリカではマザー・グースと呼ばれる童謡)にも「Incy Wincy Spider」という曲があって、主人公は天候に振り回されるクモです。
イギリスの子供たちが初めて憶える歌のひとつで、よく童謡の本の挿絵にはかわいらしいクモの絵が描いてあります。

人間にとってクモは身近な生物であり、その上形態や習性が特徴的であるため、古来より世界各国において、吉凶善悪両面にわたり様々な印象を与え、擬人化されてきました。
クモの生息地は砂漠、高山、森林、草原、湿地、海岸などで、あらゆる陸上環境に分布しています(ミズグモというのもいます)から、人間が好んで居住しているところには、クモも住んでいると考えられます。
これほど多彩な環境分布があるというのも、動物として珍しいのです。

日本でも例にもれず、文化的にも民俗的にもクモは多様な顔をもっています。
古来から、日本ではクモを見ることによって縁起をかつぐ風習があります。
代表的なのは、いわゆる「朝蜘蛛」・「夜蜘蛛」という概念です。
「朝にクモを見ると縁起が良く、夜にクモを見ると縁起が悪い」ということわざを、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

また、女郎蜘蛛(ジョロウグモ)は、その細身で色彩鮮やかな外観から、華やかな花魁を連想し命名されたものです。そこから派生し、妖怪や怪談話にも登場します。その影響のせいか、日本ではちょっとオドロオドロしいイメージがあります。



クリックすると新しいウィンドウで開きますそれに反してバレリーナは華やかな西洋、やはり欧州のイメージですね。
バレリーナという言葉自体は、イタリア語です。
そして私個人的には、バレリーナは手足が細くて長くて、あの脚でちょこちょこちょこと爪先立ちで踊る姿が、なんとなくクモを連想させるかなあと思ったりして・・・。


明日は歌詞について、詳しくみてみたいと思います。
前回のDay Dripperに続いて、不可思議だけど味わい深い歌詞。
山内総一郎くんの作曲した明るい曲調のメロディーに、志村君の歌詞が光ります!



Wednesday 26 January 2011

Bye Bye - Puffy and Fujifabric (Translation of the post on 21st Jan)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

For non-Japanese fans, let me introduce relationship between other Japanese bands and Fujifabric at every opportunity now on.
Today's band is Puffy!
Some of Okuda Tamio fans might have already known them as Puffy's first producer was Tamio san.

Puffy, Okuda Tamio and Fujifabric belong to the same music company, Sony Music Artists (website of SMA).
Puffy consists of Ami Oonuki and Yumi Yoshimura, and made their debut in Japanese music world in May, 1996 as the first band produced by Tamio.  (Here is Puffy's official homepage)

"Asia No Jinshin"  (1996) was a million seller of the year, and it is still fresh in my memory that the Puffy's songs were very outstanding at that time being strongly influenced by Tamio's taste in Japan, where was full of Komuro's harsh techno-like artificial sounds.
I had never imagined that after some years, Puffy Ami Yumi would be on children's TV, and see them again here in Thailand!

At the time of their debut, Okuda Tamio criticised the band as "a band in height of a season" (implying that they would not stay long), but they have established their solid position in the music world and are celebrating their 15th year this year.

Shimura kun must have known Puffy since he was a high school student in Fujiyoshida City, as paying an extra attention to Tamio and Unicorn, I guess.
After Fujifabric has made their major debut in Sony, Shimura wrote two songs, "Bye Bye" and "Doki Doki" for Puffy for their 11th album, "Bring it!" released on 17th June 2009.  It was the first opportunity for Shimura to do his work on his own as a producer for other bands being away from Fujifabric.
The chorus was by Shimura in both songs, and in "Doki Doki" the other three members joined and played their instruments, too.

"Bye Bye" was one of Shimura's favourite songs and it was also recorded in Fujifabric's 5th album, "MUSIC", in their own musical arrangement, and it is surely sung by Shimura kun! (I just love to listen to "Doki Doki" sung by Shimura as a fan! How will he sing the girlish lyrics in his voice...?)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

It is still fresh in our memory that Puffy sung "Bye Bye" and "Doki Doki" in Fuji Fuji FujiQ last July mourning Shimura's early death, and there, Ami and Yumi had a nice talk show on the stage teasing Shimura kun - laying a secret story bare that "the lyrics of Bye Bye is based on a true experience of Shimura" and "those two songs were originally written and dedicated to Puffy.  Shimura did not write it for his band.  We often face this kind of problem that a musician rearranges Puffy's song, and sell again under his/her name.  So, please prove here in front of everyone that the song was written for Puffy, ok?  We are so kind to let you use "Bye Bye" in your new album!"
It was really fun because Fujifabric fans all know that Puffy really loved Shimura kun.

Ami and Yumi were like flowers blooming on the stage among other male musicians.

"Bye Bye" is also popular among children especially among boys between 4 - 12 years old.  I have been asked to give a CD once!
I personally feel that Fujifabric's music strike our heart at the spiritual level, and "something" reaches children's and foreigner's heart.

クリックすると新しいウィンドウで開きます

There is no particular phrase in the lyrics requiring for extra explanation as it is following a stereotype of boy's and girl's love in any country. (please wait for an English translation!)
The setting of the song can be Tokyo, as "I" found "you" on a train.  (In my town, cars are a main source of transportation, not a train.)

"Even you have gone far away    that's right     take care"
"wish you in my heart    stay happy"

This song has been loved by many people who have shared a similar experience in the lyrics with outlook of their life.
"We" could not succeed our love at the end, but wish "you" a happy life with "your" new boy friend.  "I " pay respect to the past time when we were lovers and try to begin my new step, but there is another part of "me" missing you so much...
The criteria of love might vary between individuals and different races to a certain extent, but some honest feeling about love is embedded in this song.






Tuesday 25 January 2011

おはよう日本 富士吉田からの生中継

クリックすると新しいウィンドウで開きます

今日も残りわずか8分なので、急いで短い記事を書こうと思います!

今朝、NHK国際放送で「おはよう日本」を見ていたら、富士吉田側から見た富士山の中継をしていました。
ほんの何十秒かでしたが、雪化粧の富士山が見られて大感激し、「山梨のみんなはどうしているかな。」と思いもひとしおでした。
西湖の樹氷祭りで今季話題になったクニマスの標本が見られるそうで(富士河口湖 総合観光サイトをご参照ください)、寒さが暖かいタイにも伝わってくるようでした。

今日は志村正彦くんの祥月命日でしたね。
そんな日にタイにいながら澄み切った空気の中に凛とそびえる富士山の姿が見られて、なんとなく志村君の姿を思い出しました。

海外にいると特に山梨・静岡出身者でなくとも、富士山には特別な感情を抱くものですが、最近はインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」でも富士北麓地域(山梨県・富士吉田側)がみられるようになったのをご存知ですか。
富士北麓地域の観光PRのためで、世界に情報発信できる同サイトの利点を生かし、動画には英語の字幕を入れて海外からの誘客にも力を入れているそうです。
 



クリックすると新しいウィンドウで開きます
現在公開中の動画は、ふもとからゆっくり山頂を目指す富士登山を紹介した「富士山と語り合う休日」、富士五湖エリアでキャンプをして滞在する家族に密着した「富士の恵みを味わう休日」など3本。約2分半ほどの映像にまとめてあります。
季節に合わせてテーマを変え、地域の魅力を分かりやすく発信し、同協議会が目指す2泊3日以上の滞在型観光の定着を目指すためとしています。

「世界中の人が利用するサイトを活用することで、富士山だけでなく富士北麓地域全体のさまざまな情報を広めていきたい」
詳しくはこちらのホームページをどうぞ。
富士山・富士五湖観光圏整備推進協議会ホームページ


音楽は言葉や文化の壁を超え、人の心に通じるものですから、富士吉田市出身の志村正彦くんとフジファブリックの音楽も、ぜひ観光PRに加えていただきたいと強く要望いたします。

Friday 21 January 2011

Bye Bye -Puffyとフジファブリック

クリックすると新しいウィンドウで開きます

オーストラリアのファンからの、「フジファブリックと他のジャパニーズ・ミュージシャンとの関係について、紹介してください!」というご要望にお答えしまして、これから折を見て少しずつお伝えしていきたいと思います。
初回の今日は、Puffyとフジファブリックについてです。

ご存知のように、Puffyはフジファブリックと同じ事務所の先輩です。
大貫亜美と吉村由美の二人が出会い、95年にユニットを結成。これまた同じ事務所の奥田民生プロデュースの下、96年5月にデビュー。
奥田民夫と井上陽水の作った「アジアの純真」は、当時人気のあった小室ファミリーの機械的な音楽があふれる中、とても新鮮だったのを覚えています。
まさかその何年か後に、タイの子供向きテレビ番組で「Puffy Ami Yumi」の名前で、再び二人を見るとは思いもよりませんでしたが!
デビュー当時は、プロデューサーの奥田民夫自身が「今が旬という存在」などと言っていましたが、デビューしてから今年で15年になる立派なミュージシャンになりました。

志村君が心から尊敬し慕っていた奥田民夫さんプロデュースとあって、きっと富士吉田にいる高校時代からPuffyは知っていたのだと思います。

その後、フジファブリックが同じ事務所でメジャーデビューを果たした後、2009年6月17日にリリースされたPuffy11枚目のアルバム「Bring it!」に「Bye Bye」と「Doki Doki」の2曲を志村正彦として楽曲提供しました。
フジファブリックではなく、志村君個人がプロデューサーとして活動した始めての作品でした。

志村君は「Bye Bye」をとても気に入っていて、フジファブリックの5thアルバム「MUSIC」の中に、志村君が歌ったアレンジの違うフジファブリック・ヴァージョンとしても収録されています。(ぜひ志村君が歌った「Doki Doki」も、ファンとしては聴いて見たいです。「親にも内緒よ!」のフレーズを唄う志村君、聴いてみたいなぁ・・・。)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

昨年の7月に開催されたフジフジ富士Qで、Puffyの二人が「Bye Bye」と「Doki Doki」の2曲を唄ってくれたのは記憶に新しいですが、そこでもPuffyらしいトークを繰り広げていました。
「この歌詞は実話です。」とか「この曲はまずPuffyにあげるために書いたって、みんなの前でちゃんと言ってよ。私達よくそういうの(楽曲提供してくれた人たちが、その曲をセルフプロデュースすること)あって、困るんだよね~。」とか言って、男ばかりの出演者の中Puffyがステージに出てくると急に華やかになったようでした。

「Bye Bye」は、子供にも大人気です。特に幼稚園から小学校の子は、一度この曲を聴くととりこになるらしく、「このCDちょうだい!」と言われたこともあります。「Cheese Burger」と同様、なにか心に響くのでしょう。
うまく言葉ではいえないのですが、フジファブリックの音楽は「魂のレベルで心に響く」と常々思っていて、子供の純粋な心にも日本語の分からない外国人にも伝わる何かがあるという証拠だと思います。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

「Bye Bye」の歌詞については、説明は不要ですね。
外国人に伝わりにくい箇所もないぐらい、万国共通の典型的な恋愛スタイルだと思います。
「電車に乗っ」って「君を見つけた」というところが、東京っぽいなぁと思ったのは私だけでしょうか。あまり山梨っぽくない感じです。

「遠くに行っても そう どうか元気で」「心の中で祈る 幸せでいて」

別れてしまった相手にたむける「自分たちはうまくいかなかったけど、新しい相手とどうか幸せになってね。」という感情。恋愛がうまくいかなかったからといって、相手を恨むわけでもなくそれはそれでしょうがないとあきらめようとしている。お互い恋人同士だった時間を尊重し、彼女の幸せを願う崇高な精神は、民族関係なく人間として賞賛送られるべきものであると同時に、卑怯な行いを恥と思う日本人(それも今はずいぶん変わってきてしまいましたが)の精神を表している気がします。
でもそうは思っていても、どうしても寂しくなってしまう自分もいる。
そんな心の葛藤は、多くの人の共感を得たのではないでしょうか。
個人差はあるにしろ、離婚にも再婚に前向きな国民とは、この思いの深さのベクトルがやはり違うのではないかと思いました。
では、志村君のお気に入りの曲、Bye Bye お聴きください。

Wednesday 19 January 2011

Day Dripper ぐるぐるの歌詞

クリックすると新しいウィンドウで開きます
















前回に引き続き、「Surfer King」のB面、「Day Dripper」です。
今日はフジファブリックの魅力の一つ、歌詞をみてみましょう。

・・・といいましても、大混乱が魅力のこの曲は、歌詞においてもそのぐるぐる感を表現するためか、言葉遊びのような歌詞が目に付きます。

リスナーの皆さん一人ひとりが自分の思いを投影しやすくするために、志村君が知恵を絞って作った歌詞なので、私の思いを書くのは気が引けますが、外国のファンの方のためにも「煩悩が僕を今日も突き動かして」というところだけ、注釈させていただきます。



まず、「煩悩」についてです。
仏教国に住んでいる方たちには、比較的なじみのある言葉だと思いますが、これは仏教の言葉で「心身を乱し悩ませる、悟りに達するのを妨げるもの」を、指します。
日本のお寺では大晦日の晩、夜12時を挟む時間に寺院にある鐘を108回撞く「除夜の鐘」という年中行事があります。
NHKの国際放送でも、「ゆく年くる年」という番組の中で日本各地の寺院で鐘が撞かれる様子が中継され、世界に向けて発信されています。

なぜ108回なのかには諸説ありますが、よく知られているのは「人間の持っている煩悩の数」という説です。この除夜の鐘という行事があるおかげで、冠婚葬祭のときぐらいにしか宗教を意識しない日本人が多い中、こんな時代でも「煩悩」という仏教の言葉が案外一般的にも知られているのではないでしょうか。

煩悩は、我執(自己中心の考え、それにもとづく事物への執着)から生ずると考えられています。
仏教では、生まれてくることも、生きることも、病気になることも、老いることも、死ぬことも「苦」であるといいます。
人間はどうしても常に何かに執着をもった生活を送ってしまい、特に自分自身と自分の所有へのとらわれが毎日の生活に「苦」を感じずにはいられないものにしているからだと、仏教の教えは諭します。
生きることを渇望する心であったり、死んでしまいたいと思う心。
自分のことだけでなく、人の生命を願い、また逆に呪うことが、煩悩の根源であるというのです。

この仏教の教義を踏まえて、「Day Dripper」の中の「煩悩が僕を今日も突き動かして」という一節を考えてみると、とても意味の深いものだと思いませんか。

煩悩は悟りに達するのを妨げる元であることは事実だと思いますが、その反面、悟りを得ていない凡人の私たちにとって、何かをしようという活力になることもやはりあるのではないでしょうか。
生命維持も子孫繁栄も、煩悩が完全に滅却できてしまうと、動物としての人間と考えるときかなり難しいでしょう。

ロックなんかは、その典型だと思うのです。

志村君は、「世の中のこんなところが嫌い!反対!といって叫ぶのは、ロックの一番恥ずかしいところ。」と、以前恥ずかしそうにインタビューで言っていましたが、仏教の教義で考えるとこれもまさしく煩悩のひとつです。
社会に対しての反骨精神がロックの基礎になっていることは、ビートルズやジョン・レノンなどをみても明らかです。(フジファブリックの音楽の場合は、そうでない曲も多いのが魅力でありますが)
「何をしたい」「あれがこうなればいいのに」という気持ちにとらわれすぎれば毒になりますが、時にはそういう気持ちが人間を動かす大きな活力にもなると思うのです。


クリックすると新しいウィンドウで開きます
「Day Dripper」には、真実味のない言葉をたくさん言ったり、粋な言葉で愛を語ったり、電話で壁を掘ったり(これはちょっと違うかな・・・)、ありふれた場所に君を誘い出したり、ぐるぐるぐるぐる「コーヒーにミルクが混ざるときみたいに」変なことが次から次へと出てくるのですが、「煩悩が今日も僕を突き動かして」という一節で今までのへんてこがすっと落ち着くような気がしました。


でも志村君に、「言葉の音感を楽しもうと思っただけで、そんな深い意味なんかない。」と冷静に一言言われそうですね!
理屈はともかく、ぜひフジファブリックらしいナンバー 「Day Dripper」 
お聴きください!!

Tuesday 18 January 2011

Day Dripper (The Translation of The Post on 17th Jan)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

It has been just so cold in my hometown, Yamanashi Prefecture, and the first snow of the season was recorded by local Meteorological Office.
At Lake Kawaguchiko near Mt. Fuji, there are some events celebrating the winter cold beauty - "Lake Kawaguchiko Winter Fireworks - Dance On The Lake" (every Saturday and Sunday between15th January 2011 - 20th February), and "Snow And Ice Festival" at Saiko Lake Bird Sancutary in Mori Park.  Please find more details in the following website.   Fujikawaguchiko Sightseeing Information Site

If you are planning to visit Fujiyoshida City to follow Mr. Shimura's footsteps and explore the beauty of nature at the foot of Mr. Fuji, why not to visit Lake Kawaguchi, too?  It is only 10 minutes away by car!

Let's move on to today's topic, "Day Dripper".
This song was coupled with Fujifabric's 8th Single, "Surfer King" released on 6th June 2007.
There is no proof but this is my guess that the song title is parody of Beatles' masterpiece, "Day Tripper".

(Actually, the word, "dripper" is not a common word to use in everyday life in English speaking countries, isn't it?  It sounds a bit dozy...)

Richness in music contents and substantiality of coupled single-released songs (the coupling songs are called B-men in Japanese) is one of the Fujifabric's outstanding characteristics, and it was also Shimura's intention and particularity.
He chose so-called "a nice song for everyone" as a single-released song, and the coupled ones are always filled with Fujifabric's charms.  In other words, the band did not hesitate to write and perform more freely to express their attraction and aesthetics of their music.
According to Keisuke Imamura, who had been in charge of Fujifabric since their debut in Toshiba EMI, Shimura often said "the meaning of releasing single CDs is to confirm originality of the band and it depends on how much the band can be particular about B-men songs.".

クリックすると新しいウィンドウで開きます

All members of the band told in the interview on magazine that Fujifabric had a long tour travelling around Japan for almost a year in 2006, and the energy they charged during the tour was exploded in "Surfer King", and "Day Dripper" is really a song with full energy and Fujifabric-ness.

 Looking back the time of recoding, "I cannot remember much about the recording process at a studio.", Shimura said in his interview
The song was written by Shimura when he was full of outrageous imagination (?), and after many discussion with the other members and pick-and-throws of peculiar sounds and words attempting to keep a balance in harmony, the members agreed to settle down in this version of the song.
Anyway, the studio was in chaos with many kinds of sounds and melodies and phrases, and the core of the song was sometimes needed to be confirmed to see where the song was really heading to!

After going through a chaotic state full of outrageous ideas, Fujifabric, especially Mr.Shimura, is after all a genius to create such a wonderful piece of music with an artisan spirit.

With "Surfer King" and "Day Dripper", Fujifabric stepped into a new sphere in Japanese music world.
Mr. Shimura claimed, "carved out originality of the band, and stepped into a place to create a new genre called Fujifabric in Japanese music scene."  Their music had been full of originality from the beginning, but it was proved by these two songs that the band never be reluctant to explore new types of music, and never stay the same.
The sphere that they are exploring is where nobody has ever stepped in, like an animal trail, and the members, themselves, are looking forward to the future of the band - How much will the band grow up? What will the band do and show to us?

クリックすると新しいウィンドウで開きます

"Day Dripper" starts with a chorus, sung by Mr. Shimura, "Ah~Ah~Ah~Ah~! Ah~Ah~!" implying a controlled chaos in the core of the song.

As more we listen to the song, we are mesmerized by whirlpool sounds and words, exactly like "when stirring milk into coffee" in the lyrics.
Let's take a close look at the peculiar lyrics of "Day Dripper" in the next post.

Enjoy listening to  
Day Dripper (at Ryogoku, Tokyo in 2007)

Monday 17 January 2011

Day Dripper

クリックすると新しいウィンドウで開きます昨日、ふるさとから初雪の便りが届きました。

甲府盆地はうっすらと雪が積もっただけだったようですが、大寒を間近にして寒さはいっそう厳しいようです。山梨県内では、日中の最高気温が氷点下の真冬日が3地点もあり河口湖もそのひとつでしたが、厳しい寒さの中、「冬花火・湖上の舞」(2011年1月15日~2月20日までの土日)、「西湖樹氷祭り」(2011年1月29日~2月6日)などが催されています。
富士吉田へいらっしゃるフジファブリックファンの方、もしよろしかったら訪れてみてください。
詳しくはこちらのホームページをどうぞ。 富士河口湖 総合観光情報サイト

この寒さがあるからこそ、芽吹きが待ち遠しく、春や夏がいっそう輝くのでしょう。
日本の四季は世界に誇る、素晴らしいものだと思います。
(そうは言っても、やっぱり寒いのは体に悪い気もしますが・・・。)

さて、今日は8thシングル「Surfer King」のB面、「Day Dripper 」です。

確証がないので分かりませんが、ビートルズの「Day Tripper」のもじりでしょうか。

ところでこのDripperという単語、辞書にのっている正式な英単語には存在しません。
(You Tubeに「麻薬注入器」という意味があるという書き込みがありますが、定かではありません。あまり日常的に聞く単語ではないことは確かですが、もう少し詳しく調べて見てから後日ご報告します。)

カップリング曲の濃厚さは、紛れもなくフジファブリックの魅力の一つですが、これは志村君自身のB面に対するこだわりがあったからです。
A面にはいわゆる「誰が聴いてもいいと思える曲」を選曲し、B面はフジファブリックの感炸裂!の曲にしたいと思っていました。B面はA面とは違う意味で勝負どころと思っていたようで、「B面にどれだけこだわれるのかが、自分の中ではシングルを出す意味だと思う。」と志村君は言っていたと、東芝EMIでデビュー当時からフジファブリックの担当をしていた今村圭介さんがインタビューで語っています。


クリックすると新しいウィンドウで開きます
このシングルを出す前の1年程は全国を周ってライブに専念し、そこで得たエネルギーを充電して「Surfer King」で爆発させたとメンバー全員が言っていましたが、「Day Dripper」はその通り、「エネルギー全開」で「フジファブリック炸裂」の曲に出来上がりました。

「製作過程をあまり憶えていない」と志村君が回想するくらい、はちゃめちゃレコーディングだったようです。
奇天烈なことばかりが頭に浮かんでくる時期に作った曲で、「これはちょっとおかしすぎるから、却下」という繰り返しの末、丸く丸く治めようとバランスを取っていってできた曲だそうです。とにかく、スタジオ内にいろんな音やフレーズが入り乱れ、どれが曲の軸だか分からない状態の中、ギターが「ギャーーーン」、キーボードは「ビューーーーーーン」と鳴っているだけだったと(笑)。

まったく訳のわからない民謡のようなメロディーが出てきたと思ったら、奇抜すぎてなんだかよくわからなくなって「どれが正しくて、どれがまともかわからなくなってきた」という過程を経た後、「音楽とは何ぞや。」という究極の哲学的な問題まで考えだし、これに落ち着いたそうです。

奇抜な案の大混乱の中からあの素晴らしい曲を生み出し素晴らしくまとめ上げるのですから、天才職人技ですね。

そして「Surfer King」と「Day Dripper」で、フジファブリックはまた一歩、新しい境地へ踏み出しました。
「バンドのオリジナリティーを切り開き、日本の音楽の中にフジファブリックという新しいジャンルを築くべく場所に踏み込んだ。」と、志村君は言っています。それまでも十分独創的であったと思いますが、同じところに留まらずいつも新しいことをしていくというバンドの心意気が証明できたような曲です。
その切り開いていく領域は、いまだ誰も足を踏み入れたことのない「けもの道」のようなところで、「これからフジファブリックはどう成長していくんだろう。何をしてくれるんだろう。すっごく楽しみだ!」という期待にバンド自身もあふれているという、そんな記念すべき2曲です。


クリックすると新しいウィンドウで開きます
大混乱の末生まれたこの曲、志村君が歌う「あ~あ~あ~あ~!あ~あ~!」のコーラスから始まり、これから起こる節度の中にある無秩序を予感させます。

聴けば聴くほど、歌詞の通り本当に「コーヒーにミルク混ざる時みたいに」(昔クリープか何かの宣伝でそういう映像ありましたが、憶えていらっしゃる方いるでしょうか)ぐるぐるぐるの魅力にとりこになるこの曲、明日は詳しく歌詞を見ていきたいと思います。




フジファブリック 「Day Dripper」

Friday 14 January 2011

世界のFujifabric オーストラリア編

クリックすると新しいウィンドウで開きます

昨年10月にご紹介しました「世界のFujifabric アメリカ編」 に引き続き第二弾、今日はオーストラリア編です。

ここ2,3週間ほど、オーストラリアからのアクセスが急激に増え、何事かと思っていたら、Sarah Magdalene さんという方がご自身のブログでフジファブリックを特集していらっしゃいました。日本の文化やポップカルチャーを外国人の目から分析していらっしゃって、とても興味深いブログです。ぜひご覧ください。Sarah Magdalene' s Blog - Dame Ningen

拙い和訳ではありますが、いくつかの記事を寄せられたコメントも含めてご紹介させていただきたいと思います。


1月9日付け記事
Chronicle

「うわ~。
彼(志村正彦くん)は、このアルバムで皆を抜きましたね。
これはまさに、持っていなければいけないアルバム です。
全ての点において、奥田民夫を抜いたといっていいと思います。
他のミュージシャンを含め皆を抜いたのだから、私がこのように言うことに民夫さん自身も異議はないと思います。
Ah Bee Beeやコーネリアスらしい音も聞こえるけど、大半が純粋なる志村君の音だと思います。
一番残念なことは、このアルバムが輝かしいのと同時に悲劇的でもあるという点です。
彼の音楽を愛せば愛するほど、悲劇的な出来事(志村君が亡くなってしまったこと)にショックを隠しえません。
もうこれ以上、彼は音楽を作ってくれないんだと思うと、更に落胆してしまいます。

人生は本当にフェアじゃないな、と思います。
これほどの素晴らしい音楽は、人伝に伝播して、世界から注目される一流傑作音楽になるに決まっています。
まさに卓越した、革命的な作品であります。
もしそうでなかったら(世界の傑作音楽として認識されないならば)、人間性を含めた人の感性というものが、脳死状態に陥っているという証拠です。

とにかく、後日改めてこのアルバムについては記事を書こうと思います。
私は唯、感動しすぎて本当に椅子から落ちてしまったとお伝えしたかったのです。」

フジファブリックファンとして、こんなに嬉しいことはありませんね。
まったく違う文化圏の方が、歌詞の意味もまったく分からずにこれほどの賞賛をおくってくださる。
やはり志村正彦くんは天才でした。
私達日本人は、どうしても音と同時に歌詞を理解してしまうため、ある意味先入観をもって音楽を聴いているということもあると思うのですが、素直に音楽的な側面だけで評価してこれだけの言葉を言ってくださる方がいるのは、本当に嬉しいことです。

1月3日付けの記事では、温かい追悼の言葉を述べてくださっています。

「私はお葬式を見たり、お葬式の写真を検索したりするのは嫌いで、特に若い人のものはたまらないです。
こんな、鋭い感覚をもち、魅力的な魂の人。
彼は並外れた才能をもち、素晴らしい感性と知性をもった人でした。
日本の音楽界にとって、なんと大きな損失でしょうか。
もっと前に彼を知りたかったな。
私を彼にひき合わせてくれたvesimeloni さんと、彼女のファンアートに感謝です。」

これらの記事に寄せられたコメントとSarahさんからのお返事も、一部ですがかいつまんでご紹介させていただきます。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

vesimeloni さんからのコメント
「茜色の夕日」は、長い間私の大好きな曲です。彼がたった29歳だったなんて・・・。彼の音楽の中に流れる郷愁は、もっと年を重ねた人のものかと思っていました。

kiddywonkus さんからのコメント
私のお気に入りは、ずっと「桜の季節」です。
この曲は私が初めて訳した曲でした。
この曲のおかげで、日本の曲には美しい歌詞の曲があるんだな、ということを知りました。

Sarah さんからのお返事
「(Chronicleのアルバムについて)私は日本語の歌詞の意味は分からないけれど、はっきりと彼の苦しみが伝わってきます。あれだけのすごい才能を(自分自身の中で)コントロールするのは、簡単なことではなかったと思います。
まだ彼の多くの楽曲を聴いたわけではないのですが、すでに感銘を受けています。
特に彼の若い年齢を考えると、やはり彼は天才でしたね。
彼のふるさとと壮観な富士山について、とても興味があります。
芸術家はいつだって、自然と強いつながりが必要なのです。
そして富士山は、特別なパワーをもつ場所だと思っています。
こんな特別な人を失くすのは、本当に残念なことです。

彼の純粋さと、彼の芸術に全てを打ち込む姿。
これは西洋では忘れ去られてしまった、昔ながらのものですが、この精神が彼を特別な存在にしているということは、その通りだと思います。
私たちのために犠牲にしてくれた彼の人生の一部。彼がもうこの世にいなくなってしまって、自分の人生を楽しむ機会さえもう、なくなってしまったことがとても悲しいです。
人には人それぞれの運命があるんでしょうか。

彼の死は、過労と郷愁の念からくるものだと感じました。
田舎で生まれ育った人間は自分を生き返らせるのに大自然の魔法が必要なんだという彼の言葉、大好きです。真実です!
日本の偉大な詩人として、また音楽家として花開いた人だったけど、向こう見ずな生活で命を落としてしまって・・・(上の言葉をみて)私の悲しみは倍増しました。
このコメントを書いているだけで、涙が出てきます。

これが芸術を商売として扱ったときにおこることなのです。」

クリックすると新しいウィンドウで開きます

私にとって、このブログを始めるのは大きな挑戦でした。
果たしてまったく違う文化圏の人たちに、フジファブリックの奥深い世界を、うまく説明して理解してもらえるのだろうか。
音楽に言語はいらないとは思っていましたが、フジファブリックの歌詞世界は唯一無二のすばらしいものなので、歌詞を理解できずに聴くことは彼らの音楽の魅力を100%堪能しきれずもったいない、と思ったのです。
また、志村君の人間性を理解して愛しているからこそ、曲に重ね合わせ音楽がより心に響くというのもフジファブリックの特徴だとも思っていましたので、これを世界の人に理解していただくのは難しいだろうな、と正直思っていました。

今まで読者の皆さんからの明確な反応がほとんどなかったこともあり、自分のしていることが果たして意味があることなのかどうかさえ疑問だったのですが、今回、少し報われた気持ちになりました。

Sarah さんのブログからリンクしてこのブログを見に来てくださっているオーストラリアの皆様に、日本語ではありますが、心からお礼を言いたいと思います。
フジファブリックを海の向こうで応援してくださって、本当にありがとうございます。

現在、オーストラリアでは突然4,5メートルも水位が上がり、都市を含めて大洪水になっております。お亡くなりになった方々に追悼の意を表すと共に、国のいち早い復興をお祈りしています。

フジファブリックの音楽が世界で高く評価される音楽であること、そしてその音楽を作り出した人が日本、山梨県富士吉田市出身であること、またフジファブリックの音楽を通して繋がっている人が、国を超えて世界中にいること、そしてその数が少しずつではありますが、確実に増えていっていること。
これら全てのことが、私達日本のファンの誇りであり大きな喜びであることを、今回再確認いたしました。

「鳴り響け 君の街まで」
フジファブリック 4th Album より 「Anthem」 

Wednesday 12 January 2011

Mizuame Candy and Cotton Candy - the lyrics (The translation of the Post on 7th Jan)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Let's take a close look at the lyrics of Mizuame To Wataame (Mizuame Candy and Cotton Candy) today.
The lyrics has already been translated into English, so please enjoy the fantastic lyrical world of the song fully in the FAB FOX in Lyrics on the right of the page.

From the words, "town lights",  "a shooting star", "Yukata", the setting of the song can be guessed - one summer night.  It is about homeward bound on summer night.



The song begins with a breeze-like noise, which is made by swinging a plastic toy hose sold at a super store in Japan.  In Yamanashi Prefecture, the cool wind blows down from nearby mountains in the evening after sunset ,even in summer, and this noise reminds me that summer breeze straight away.

"The dull flickering town lights"
"Homeward bound, after a festival made by magic"

クリックすると新しいウィンドウで開きますOn a festival night, the familiar scene suddenly has changed and we feel like walking in an unfamiliar town.
Flashing lights on stalls on a street and a big crowd, which we hardly see on normal days, cast a magic on us.
Especially in countryside like Yamanashi Prefecture, the atmosphere gap between ordinary days and a festival night is much more than in a big city like Tokyo, and once you walk into a narrow byway, the crowd and lights were like a dream - the familiar street goes on in front of you as usual.

On the way back home, "you" are smiling so happily as "you found a shooting star".



My Mizuame candy and your cotton candy.

"Looking at your precocious-looking Yukata
I was thinking something precocious"

Maybe be a 15,6 year-old girl as "you" look a little precocious.

"I" told you "love you" which "I " never say normally, and I got embarrassed and tried to dissemble "my" embarrassment by saying "just kidding", "swap it for your cotton candy"


This song is filled with Fujifabric's music world.
It is difficult to find someone who can write such a lyrics really.

There are two big local festivals in the town where Shimura was brought up in Fujiyoshida City - one is at Komuro Sengen Shrine and another is Shisei-sai at the main street (Cyuou Dori) of Fujiyoshida City.


9月19日の例大祭
The one in Komuro Sengen Shrine is a small local shrine which was established in 807 A.D., and Yabusame (流鏑馬), a type of mounted archery in traditional Japanese archery, is performed in the holly festival.  An archer on a running horse shoots special arrows at wooden targets, and the horses' foot prints were analysed by priests to tell the fortune of the year.

Shisei-sai (Municipality Festival) is organised by Fujiyoshida City every year, and many citizens gather to enjoy the day.

There are many stalls are set on a street in both festivals, and at the first sight, you'll know what Shimura wanted to sing about.




Enjoy listenint to "Mizu-ame To Wata-ame".


Tuesday 11 January 2011

水飴と綿飴 下吉田のお祭り

クリックすると新しいウィンドウで開きます

日本はここ1週間ほどとても寒いと聞きましたが、皆様、いかがお過ごしですか。

小寒(1月6日頃)から節分(2月3日頃)までは「寒」と呼ばれ(「寒の入り」)、一年でもっとも寒い季節となりました。
山梨県甲府市は、最低気温がー5℃ぐらいですが、東部富士五湖(富士吉田市など)はー10℃まで冷え込んでいるそうです。最高気温も2,3℃ですから、いよいよ身が引き締まるような本格的な寒さが到来です。
昔から日本では、厳しい寒さは厳粛で清浄なものと特別視されており(古代神道の影響が大きいのと思われます)、寒に入って9日目の水を「寒九の水」といい、薬効著しいと尊ばれてきました。「一年で一番水が澄む日」「この日に汲んだ水は腐らない」といわれ、寒仕込みの清酒を作るための仕込み水としても使われます。

確かにキーンと耳の奥が痛くなる冷たい空気も、手の感覚がなくなる冷たい水も、全てを覆い隠す真っ白な雪も、穢れをはらう気がしますよね。

ふるさとから、初雪の便りが届くのももうすぐでしょう。

季節外れで非常に恐縮なのですが・・・今日は前回、前々回に引き続き「水飴と綿飴」です。
(「季節感を大切にする日本人」と自身のブログで言っておきながら、すみません。ぜひ赤道付近で書いているということに免じて、お許しください。)

山梨県富士吉田市下吉田。
フジファブリックの志村正彦くんが生まれ育った街ですが、ここではどんなお祭りがあるのでしょう。



まず、忘れてはならないのは下吉田5221番地にある「小室浅間神社」で毎年9月19日に行われる「例祭 流鏑馬(やぶさめ)祭り」です。
このやぶさめ祭りは、富士吉田市無形文化財に指定されています。

「神社に馬がいて、驚いた。」という、他県からいらっしゃったフジファブリックファンも、結構いるようです。

神道の祭儀としての役割がより重んじられているという点で、他のやぶさめ祭りとは異なるのが大きな特徴です。(9月1日の「初馬揃式」に始まる数々の前儀があります。奉仕者は「切火」という厳しい潔斎を1週間行い心身を清め、祭事に臨みます。)
馬の馳せた足跡をみて吉凶を占う「馬蹄占」も、大切な祭儀の一つです。


毎年やぶさめ祭りが終わると、氏子区域各町内に神職を招き、やぶさめ祭りでの「馬蹄占」の結果を元に祭儀を行います。
 
9月19日の例大祭町内各家庭は御祈願の後、一枚小さな紙垂を戴き、これからの一年間町内に火事や争い事などの災いが無く、無事に過ごせるよう祈願する行事が十一月初旬頃まで続きます

下吉田第一小学校では、運動会にやぶさめをテーマとしたプログラムがあり、児童が郷土の歴史を一生懸命学んでいることなどを考えても、非常に地域に密着したお祭りであることが分かります。


そして、9月19日のお祭りの日には多くの露店がたち並び、下吉田の子供たちの忘れられない楽しい日となるのです。






もう一つ、下吉田で行われる夏のお祭りと言えば、毎年7月最終日曜日の前の土曜日に行われる「富士吉田市制祭」です。(以前は7月25日と決まっていましたが、2002年から変更)
午後3時ごろから始まり、夜10時まで続きます。



青い部分の道は全て歩行者天国となり、ここでも多くの夜店が並びます。
小中学生によるブラスバンドや、幼稚園の園児たちの子供みこし、盆踊りなど、こちらも地元密着型のお祭りです。「市民夏祭り」という別称をもつこのお祭り、富士吉田市が主催しています。

昨年は市制60周年でしたので、市制祭も例年より盛り上がったのではないでしょうか。


私たちが子供時代もそうでしたが、地方都市の子供たちにとって、お祭りは一年の中でもとても楽しみにしているビッグイベントの一つです。
地元のお祭りを告げる花火(音だけの花火)があがると、「今日はどこでお祭りなの!?」と大人たちに聞いて早く宿題をすませ、うきうきしながら「そろそろ行こうか?」という祖父母や両親の声を待ったものです。

中高生になると友達と行きましたが、暗くなってから外に出るということがあまりない日常生活の中、親の許可を得て堂々と外出が許される近所の神社の祭りの晩は、ちょっと大人の気分になったものでした。
夜の闇の中で怪しく?光る夜店の灯り、人込み、大きな音(カラオケ大会が、神社のお祭りではお決まりでした)。いつもの街とはかけ離れた風景。
全てが魔法がかっているような夏の夜の祭り。
一歩横道に入ったときに、吹いてくる山からの涼風。

フジファブリックの「水飴と綿飴」は、そんな雰囲気をそのまま詰め込んだ曲です。

「水飴と綿飴」 お聴きください。


Monday 10 January 2011

Mizuame Candy and Cotton Candy - Japanese festivals and stalls (Translation of the Post on 7th Jan 2011)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Continued from the last post about the song, "Mizuame To Wataame" (Mizuame Candy and Cotton Candy) in the 2nd album, FAB FOX.

Masahiko Shimura had written all lyrics and music of Fujifabric till then, but unusually for the band, the music was written by the lead guitarist, Soichiro Yamauchi, first, then Mr. Shimura wrote the lyrics later along with the music.  This is the first song written in such a style.

The music and the lyrics match each other marvelously, and I personally think that this is one of the most Fujifabric-like songs.

Let's take a close look at festivals and fairs in Japan today.
The word, "Matsuri" (meaning "festival") is a noun form of the verb, "Matsuru" (meaning "enshrine" or "deify").
Though Japanese festivals are originally religious ceremonies dedicated to deities,due to recent decline of  religious consciousness in Japan, the part of merrymaking in an event attracts is more acknowledged these days. Therefore, any festivals and merrymaking events are called Matsuri regardless the religious meanings.

クリックすると新しいウィンドウで開きます

There is no specific season for festivals, but many festivals are held in summer, such as Tanabata and Bon Odori.

Many stalls are set up on a festival day along a main street.
It is surely fun at day time, but at night time, the town is filled with fantastic unique lights on each stall and looks very attractive.



Mobile stalls are set up in a row and sell many kinds of food, drinks and toys targeted mainly at children - mizuame candy, cotton candy, bekko ame (amber-coloured boiled sweets), crepe, shaved ice flavoured with syrup, yakisoba (fried noodles), takoyaki (small octopus dumplings), poppo yaki (grilled squids flavoured with soy sauce), grilled sweet corns, a scooping superballs, a scooping goldfish, a scooping yo-yo, masks, flashing toys, etc.

Hardly seen these days, but little animals like cheeks, turtles and hermit crabs were sold an age ago.
In Meiji Era, insects for beautiful sounds were put in little bamboo baskets and sold in a temple festival.
Patrick Lafcadio Hearn (1850 - 1904), also known as Koizumi Yakumo, describes the scene at the festival in his unique fantastic way in the essay, "Mushi No Ongakuka" (Insect Musicians).
Things sold in stalls have gradually changed.

Among all the stalls, the one selling cotton candy is one of the most popular ones.
In Japanese language, cotton candy is called "wataame" in the eastern part of Japan, and "watagashi" in the western part.

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Cotton candy is quite common in other countries, too, but what is outstanding in Japan is it is often packed in a plastic bag with a cartoon character on.
In UK and Thailand, a stall keeper often hands a cotton candy to a customer when it is just made, but in Japan, many colourful bags are tied up on a rail in front of a stall for decoration.
It might be prepared for the situation that many customers come at once!
A big cotton candy is rolled up on a wooden chopstick. (Not on a straw.)
Nowadays, there are a few flavours, such as strawberry and orange, but it is normally plain (sugar taste, that means.).
The price is about 500 Yen a bag.

クリックすると新しいウィンドウで開きます

In Japan, a cotton candy maker is sold as a toy, and it's now easier for children to enjoy cotton candy at home. (It was one of the popular toys last year.)


Another word that I paid an extra attention when translating the lyrics was "Yukata" (a Japanese garment, a casual light summer kimono usually made of cotton).

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Yukata is originated in Heian Era as Yukatabira, a clothes designed for bathing.  At that time, several people bathes together, so it is thought to be worn for the purpose of hiding the naked body and of absorbing sweat.
From Azuchi-Momoyama Period, yukata has been worn after taking bath as a gown.
The name, Yukata is a shorten word of Yukatabira.



Like other forms of traditional Japanese clothing, yukata are made with straight seams and wide sleeves, which air can go through well, people wear Yukata on the occasion of going out in summer, after bathing or going to bed.
At fireworks displays, bon-odori festivals, and other summer events, people, especially young girls, wearing yukata is a common sight. Since the late 1990s, yukata have experienced a revival - the price has gone down and designs have changed dramatically matching a modern sense. (At UNIQLO shop in Narita Airport, yukata is sold all year around for a souvenir.)
Girls wear more than boys, by somehow in modern Japan.
It may be because girls want to show an unusual side of 'me' to boys!?

In tomorrow's post, the lyrics will be analysed closely.

Enjoy listening "Mizu-ame To Wata-ame"  by Fujifabric


Friday 7 January 2011

水飴と綿飴 祭りと屋台

クリックすると新しいウィンドウで開きます

前回から引き続き、「水飴と綿飴」(2nd album "FAB FOX")です。

それまで全ての曲の作詞作曲を手がけてきたのは志村正彦君でしたが、まず山内総一郎くんが作曲をし、その音に合わせて歌詞を志村君が書くという、初めてのパターンで作られたのがこの曲です。

音楽と歌詞が絶妙にマッチしていて、「フジファブリックらしさがよくでている曲のひとつだなぁ。」と、個人的には思っています。

今回は日本のお祭りについて、詳しくみてみましょう。
「まつり」という言葉は「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものです。最近では宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて「祭り」と認識されることのほうが多く、一般的には元から祭祀と関係なく行われる賑やかな催事、イベントについても「祭り」と呼んでいます。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

季節は特に決まっていませんが、七夕、お盆など、夏は一番お祭りの多い季節です。

日本の縁日では、多くの露店(屋台)が並びます。昼のお祭りも楽しいですが、屋台の電飾が目を引く夜は、独特の雰囲気があります。

並ぶ屋台は、主に子供たちの好きな食べ物やおもちゃを売ります。水飴、綿飴、べっこう飴、クレープ、カキ氷、やきそば、たこ焼き、ぽっぽ焼き、焼きとうもろこし、スーパーボールすくい、金魚すくい、ヨーヨー、お面、光るおもちゃなど。
最近ではあまり見かけなくなりましたが、一昔前はひよこ、亀、やどかりなども売っていました。
明治時代、お寺のお祭りでは鳴き声鑑賞用の虫たちが小さな竹籠に入れて売られていたと、小泉八雲が書いていますから、屋台で売られるものは時代と共に変化しているようです。(「虫の祭り」に関するこちらの記事をどうぞ)


その中で綿飴は人気の屋台のひとつです。
日本語で「綿飴」は、「綿菓子」とも呼ばれます。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

外国でも比較的普通に食べられている綿飴ですが、日本の綿飴の特徴は「袋に入れて売られていること」です。
子供たちの好きなキャラクター(アニメマンガ・ヒーローものなど)の絵が描いてある、30センチほどの大きさの袋の中に入れて売られています。
外国(イギリスやタイ)では、お客さんが買いにくるとその場で作りそのまま手渡しでくれたりもしますが、日本の屋台ではすでに袋詰めにした綿飴が、屋台の軒先にゴムで結わえ付けて売られています。
たくさんのお客さんが一度に来てもいいように、備えてあるのでしょう。
また、日本で売られている綿飴は大きめで、割り箸に巻きつけてあります。(タイでは、ストローもある)
普通は一種類のプレーン(砂糖味)ですが、最近はイチゴ、オレンジなどもあるようです。
一袋、500円ぐらいです。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

また日本では、「綿菓子マシーン」といって、家庭で簡単に作れる綿菓子製造機がおもちゃ屋さんで売っていて、今話題の商品です。


もう一つ、この歌詞を英訳するときに重要視した単語が「浴衣」です。

浴衣は、平安時代の湯帷子(ゆかたびら)が原型とされていて、元々沐浴するための衣として使われていました。この時代、複数の人と入浴する機会があったため汗取りと裸を隠す目的で着用したようです。
安土桃山時代頃から湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的で広く用いられるようになり、これが江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となりました。
「ゆかた」の名は、「ゆかたびら」の略称です。

生地が薄く開放的で風通しがよく、長襦袢なども着用しないことから、夏場の外出や湯上り、あるいは寝巻きとして着用されます。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

現代の日本の生活で浴衣が多く着用されるのは、主に花火大会・縁日・盆踊りなどの夏の行事です。デザインもモダンに変わりお値段も手頃になったことから(外国人用に、成田空港内のユニクロでは一年中浴衣を販売しています)、ちょっとかわいい外出着として、日本人の若い女の子たちがこぞって来ています。
男の子より、女の子の着用率が断然高いのも特徴です。
いつもと違う自分を男の子に見て欲しい、女心からでしょうか。


クリックすると新しいウィンドウで開きます

では、歌詞を詳しくみてみましょう。


「街の灯り」「流れ星」から、時間帯は夜であることがわかります。
そして「浴衣」を着ていることから、季節は夏。
夏の夜、祭りの帰り道でのひとこまです。

まず、量販店などで売っている振り回すと「ヒューヒュー」鳴るホースの音色から曲が始まります。
山梨では、夏でも夜になると山から結構強い風が吹いてきて涼しいのですが、この曲を初めて聴いたとき、あの夏の夜の風を瞬時に思い出しました。

「とろけるような街の灯りの」
「魔法に任せた祭りの帰り」

いつも見慣れている風景が、お祭りの夜は突然様変わりしていつもとはまったく違う街になり、宵の闇の中できらきら光る電飾といつもこんな時間には考えられないような人混みに、街一帯が魔法にかかっているような気分になります。
特に田舎のお祭りはそのギャップが大きく、お祭りの後、横道に入ると今までの人混みと灯りはうそのようで、夜のしじまの中、いつもの道が続いています。

そんな祭りの帰り道、一緒に魔法にかかっていた「君」は、「流れ星をみつけて微笑ん」でいる。

祭りで買った僕の水飴と君の綿飴。

「ませた君の浴衣に ませたこと思っていた」

浴衣を着てちょっとませて色っぽく見える年頃。
15,6歳でしょうか。

その「君」に「love you」といつもは言わないような言葉を言ってみたものの、ちょっと照れくさくて「嘘だよ」「綿飴ちょうだい」とごまかす僕。

志村君ワールドですね。
この歌詞、なかなかかける人はいないでしょう。

英訳もよろしかったらあわせてどうぞ。

次回は、下吉田のお祭りを見ていきたいと思います。
志村君が幼い頃から行っていたであろう、下吉田界隈のお祭りです。

「水飴と綿飴」


Thursday 6 January 2011

Mizu-ame Candy and Cotton Candy (Translation of the Post on 5th Jan)

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Happy New Year!
I have highly appreciated your support throughout last year, and this is my new year's resolution and intention to introduce Fujifabric's wonderful music to Japanese rock fans abroad through my blog.

The first song of 2011 is "Mizu-ame To Wata-ame" (Mizuame Candy and Cotton Candy) in Fujifabric's 2nd album, "FAB FOX".
Unusually for the band, music was written by Soichiro Yamauchi, the lead guitarist, and the lyrics was by Masahiko Shimura.  The song is about the way home back from a local festival on a summer night.  (Sorry to the readers living on the North Hemisphere, that the topic is a bit out of season!)



Let's take a look at Mizu-ame Candy first.
Mizu-ame candy literally means "Watery Candy" in Japanese language, and it is often called millet jelly in the west.  I intend to differentiate millet jelly and mizu-ame candy in this particular context, as the former is often used as a food additive and the latter can be enjoyed as sweets.

Mizu-ame candy is believed to have been brought into Japan from China a long time ago - in Nihon Shoki (The Chronicles of Japan), it is described how to make mizu-ame candy, so it must be before 720 A.D.
By saccharifying starch with acid or enzyme, the candy is produced.  Clear coloured mizu-ame candy often sold in supermarkets is made by starch added acid and water, but old-fashioned mizu-ame made in the classical process of manufacture contains a lot of minerals derived from malt, one of the main ingredients. This unique amber colour is called 'ame-iro' (literally means coolour of candy) in Japanese and the candy is full of unique malt flavour.

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Here is one of the most famous mizu-ame shop in Kanazawa.  How about buying as a souvenir when visiting Japan next time?     Jiroame in Tawaraya

Mizu-ame candy can be enjoyed as a sweet, and also it is used as a food additive for a purpose of giving a glossy effect or extra moisture to the Japanese dishes and sweets.  For instance, Kuri-manju (chestnuts bun), boiled beans, daigaku-imo (caramelized sweet potato), Teriyaki sauce.

Many stories can be found all over Japan that mizu-ame candy was fed to babies instead of milk in old days because of its aromatic unique flavour from millet and rich nuturition.

Let me introduce one of those folketales, 'A Woman Who Buys Mizu-ame Candy' written by Patrick Lafcadio Hearn.

Once upon a time, there was a candy shop.
Every late night, there was a lady come to buy mizu-ame at the shop.
Because she looked so pale and thin, the shop owner was worried and asked her if anything wrong, she just stood still and did not answer a word.
One night, the shop owner wondered what kind of circumstances she is involved in, and followed her.
The lady went in a graveyard, so he suddenly got very scared and rushed back home.
On the following night, she came to the shop again.
This time, she did not but mizu-ame candy, but instead, she beckoned him to come with her.
The shop owner followed her with his friend, and she went into the graveyard again like yesterday, and when she reached one of the tombs, she disappeared suddenly.
They were so surprised and stood out and they were even more shocked that they could hear baby's voice under that tomb stone.
They helped each other to open up the tomb, there they found a newborn baby being held by the dead body of the lady who came to buy some candy every night.
A small bowl with mizu-ame candy was placed beside the baby.

There are several versions of the story - the baby becomes a Buddhist monk when he grows up, and so on.

Mizu-ame candy  used to be an important nutrition source for babies, pregnant women, ill people, and elderlies in Japan.

There is another story of wit Ikkyu, a famous Zen monk referring the candy.

When the monk was away from the temple, Ikkyu and the other young bonzes ate up the monk's favourite mizu-ame candy in a pot.  The monk got furious about it, and called everyone into his room.  Ikkyu and his friends cried loud and said, "Master, you always tell us that this is poisonous for young children, right?  We broke your favourite vase, so we tried to commit suicide by eating all mizu-ame candy.  By somehow, we cannot die!!"

クリックすると新しいウィンドウで開きます

In a paper slide-picture show, which used to be Japanese children's favourite, mizu-ame candy was a popular sweet.

If you give some coins to a man who carries a paper slide-show, he scoops up some mizu-ame candy in a can or a glass bottle with chopsticks.  While watching the slide show narrated by the gentleman, children knead the candy using chopsticks.  The colour of the candy turns cloudy, and then...eat!

クリックすると新しいウィンドウで開きます

Mizu-ame candy is sold in a fair or a local festival, too.
The one sung in "Mizu-ame and Wata-ame" is the one sold in a fair.

In the next post, allow me to describe what a mizu-ame stall is like in a festival in my hometown, Yamanashi Prefecture.
I wish I can help you to understand what Mr. Shimura tried to tell you in this song - a fantastic festival on a summer night and a magical atmosphere at night time in our town.

Enjoy listening to "Mizu-ame to Wata-ame"